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[[Image:beck2006.jpg|thumb||right|'''クルト・ベック'''(2006年)]]
[[Image:KurtBeckJohannesRau.jpg|thumb|[[ヨハネス・ラウ]]大統領(右・当時)と'''クルト・ベック'''(左)(1999年、[[ルードヴィヒスハーフェン経済大学東アジアセンター]]にて)]]
'''クルト・ベック'''('''Kurt Beck''', [[1949年]][[2月5日]] - )は、[[ドイツ]]の[[政治家]]。[[ドイツ社会民主党]](SPD)所属。[[2006年]]5月から[[2008年]]10月まで、SPD[[党首]]を務めた。[[1994年]]から[[2013年]]まで[[ラインラント=プファルツ州]]首相。
== 経歴 ==
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当時の首相[[ヴィリー・ブラント]]の人柄や[[ドイツ社会民主党]](SPD)の党綱領に共感し、1972年にSPDに入党。1974年に南ヴァインシュトラーセ(「ワイン街道」)郡の郡議会議員に初当選。1979年には[[ラインラント・プファルツ州]]議会議員に初当選。1982年に州議会SPD社会政策担当広報官。1985年、州議会SPD議員団事務局長。1989年、住所のあるシュタインフェルトの区長を兼任(1994年まで)。1991年、州議会SPD院内総務。
=== 州首相 ===
1993年、同州首相で州代表の[[ルドルフ・シャーピング]]がSPD党首となったため、SPDのラインラント・プファルツ州代表に就任。[[ドイツ連邦議会]]議員に転じたシャーピングはベックを後継の州首相候補に指名。SPDは1994年の州議会選挙で勝利し、ベックは10月26日に州首相に選出された。[[自由民主党 (ドイツ)|自由民主党]](FDP)との連立を維持することで1996年、2000年、2006年の州議会選挙を勝ち抜き、州首相として長期政権を維持している。2003年には党の実力者としてSPD副党首に就任。2006年の州議会選挙でSPDは単独で過半数を獲得。ベックはそれでもFDPとの連立維持を申し出たが、FDP側が拒否して単独政権となっている。2007年10月に[[バイエルン州]]の[[エドムント・シュトイバー|シュトイバー]]州首相が退任したため、ベックはドイツ各州の首相の中で最古参となった。2011年の州議会選挙では、得票率を10%近く減らし、11議席を減らしたが、第一党を維持した。SPDは議席0から躍進した緑の党と連立
[[Image:Merkel Beck.JPG|thumb|right|アンゲラ・メルケル首相(左)と'''ベック'''(2007年9月19日)]]
=== SPD党首 ===
2005年の連邦議会選挙でSPDは第一党から転落、[[ゲアハルト・シュレーダー]]政権は退陣し、[[フランツ・ミュンテフェーリング]]党首も責任をとって辞任した。後任には唯一立候補した[[ブランデンブルク州]]首相の[[マティアス・プラツェック]]が選出されたが、健康不安を理由に翌年4月に辞任。後任として副党首のベックが推され、[[2006年]][[5月14日]]に95%の得票で正式にSPD[[党首]]に選ばれた。SPDは連邦議会第一党の[[ドイツキリスト教民主同盟|キリスト教民主同盟]]CDUと[[アンゲラ・メルケル]]内閣で[[大連立]]を組んでいるが、政策面で食い違いが多く、党首としてベックが連立パートナーに苦言を呈する場面が多い。一方でSPD党内でもメルケル内閣の副首相を務める調整役のミュンテフェーリングとのさや当てが囁かれた。2007年11月、ミュンテフェーリングが副首相辞任を表明した際も、連立与党党首として当然求められた入閣を即日拒否して「私は閣外で批判的立場にいるほうが良い」と述べたことにもその姿勢が窺える。
ベックは2007年の党大会で、[[新自由主義]]的とも批判されていたシュレーダー前首相の新中道路線をやめ、SPDの左回帰に舵を切った。しかし世論調査の度にベックの個人的人気のなさが報じられ、ミュンテフェーリングや[[フランク=ヴァルター・シュタインマイアー]]外相(SPD副党首)とのすれ違いが目立つようになった。2008年9月7日、翌2009年に予定されている次期総選挙では知名度・人気の高いシュタインマイアーを首相候補に立て、自らは身を引くと表明。同時にマスコミによる情報のミスリードが多く党首としての権威を保てないとして、突如党首辞任を表明した。
=== 政界引退 ===
2012年9月、長年務めた州首相を辞任する意志を表明し、後任に自身の内閣から[[マル・ドライヤー]]社会・労働・保健・人口相を指名した。翌2013年1月に州首相と辞任し、ドライヤーが後継州首相に選出された。直後の自身の64歳の誕生日である2月5日には州議会議員も辞職して政界を引退した。
== 表彰・その他 ==
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{{先代次代|[[ドイツ社会民主党]]党首|2006年 - 2008年|[[マティアス・プラツェック]]|[[フランツ・ミュンテフェーリング]]}}
{{先代次代|[[ラインラント=プファルツ州]]首相|1994年 - 2013年|[[ルドルフ・シャーピング]]|[[マル・ドライヤー]]}}
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