「ルイ・ド・リュクサンブール (1986-)」の版間の差分

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{{Otheruseslist|ルクセンブルク大公アンリの息子|15世紀フランスの司教・枢機卿|ルイ・ド・リュクサンブール (枢機卿)|15世紀フランスの軍人|ルイ・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯)}}
[[ファイル:Prince Louis and Tessy Antony (29.09.06).jpg|thumb|300px|長男ガブリエルを抱くルイ大公子と妻のテシー、二人の結婚式当日]]
'''ルイ・グザヴィエ・マリー・ギヨーム・ド・ナッソー'''([[フランス語|仏]]:'''Louis Xavier Marie Guillaume de Nassau''', [[1986年]][[8月3日]] - )は、[[ルクセンブルク]]の[[アンリ (ルクセンブルク大公)|アンリ]]大公と[[キューバ]]生まれの妻[[マリア・テレサ (ルクセンブルク大公妃)|マリア・テレサ]]大公妃の三男。ルクセンブルク大公子および[[ナッサウ家|ナッサウ]]公子の称号を持つ。アンリ大公夫妻の子供の中で、最初に結婚をした人物である。
 
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ルイは大公夫妻の5人の子供たちのうちの3番目で、兄に大公世子の[[ギヨーム・ド・リュクサンブール|ギヨーム]]大公子と[[フェリックス・ド・リュクサンブール|フェリックス]]大公子が、弟妹に[[アレクサンドラ・ド・リュクサンブール|アレクサンドラ]]大公女と[[セバスティアン・ド・リュクサンブール|セバスティアン]]大公子がいる。ルイはインターナショナル・スクール・オブ・ラクセンバーグ([[:en:International School of Luxembourg|International School of Luxembourg]])、[[スイス]]の寄宿学校ボー・ソレイユ校([[:en:Collège Alpin International Beau Soleil|Collège Alpin International Beau Soleil]])などで学んだ。
 
ルイは[[ユーゴスラビア]]に駐留するルクセンブルク軍を慰問した際、軍の女性兵士だったテシー・アントニー(''Tessy Antony'', 1985年 - )と知り合い、交際するようになった。二人の間には2006年3月にガブリエルという男の子が生まれ、その半年後の9月26日にルイとテシーは結婚式を挙げた。

この結婚は長男の出生が[[できちゃった結婚|婚前妊娠]]によるものだったこと、ルイが父親になったときまだ19歳だったことなど、様々なことが問題視されていた。このため結婚にあたり、ルイとその子孫はルクセンブルク大公位の継承権を放棄することが取り決めされた。またルイはルクセンブルク大公家の一員としての生得の称号や敬称を保持できるが、テシーと息子ガブリエルは「ド・ナッソー(de Nassau)」の姓を許されるのみであった。2007年9月21日、ルイとテシーには次男ノアが誕生した。
 
ルクセンブルクの[[建国記念日]]であった2009年の6月23日、アンリ大公は嫁のテシーに「ルクセンブルク大公女」の称号と夫と同格の「王家の殿下([[:en:Royal Highness|Royal Highness]])」相当の敬称を与え、またルイとテシーの二人の息子たちに「ナッサウ公子」の称号および両親と同格の「王家の殿下」の敬称を与えた。ルイとテシーの間に将来生まれてくる子供も、すでに生まれた息子たちと同様の待遇を受けるとされた。一家は[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]]に住んでいたが、現在は[[ロンドン]]で生活している。