「慶應義塾幼稚舎」の版間の差分

== 概要 ==
[[image:KeioUniversity Athleticmeet 1894.jpg|thumb|200px|明治27年(1894年)5月26日の慶應義塾運動会競走の図。図上部左重荷競走の図、右盲目珠拾競走の図。]]
日本で最も古い私立小学校のひとつであり、[[1874年]](明治7年)、[[福澤諭吉]]の門下生であった和田義郎が年少者を集めて教育を行ったのが始まりである。そのため、初期には「和田塾」と呼ばれていた。[[1880年]](明治13年)ごろから「慶應義塾幼稚舎」と称するようになり、[[1898年]](明治31年)には正式に慶應義塾の一員となって初等教育から大学に至る慶應義塾の一貫教育が確立した。
 
日本で最も古い私立小学校のひとつであり、[[1874年]](明治7年)、[[福澤諭吉]]の門下生であった和田義郎が年少者を集めて教育を行ったのが始まりである。そのため、初期には「和田塾」と呼ばれていた。[[1880年]](明治13年)ごろから「慶應義塾幼稚舎」と称するようになり、[[1898年]](明治31年)には正式に慶應義塾の一員となって初等教育から大学に至る慶應義塾の一貫教育が確立した。
 
「幼稚舎」の名称により、小学校ではなく[[幼稚園]]であると誤解されることもある<ref>幼稚舎出身の南博は[[東京高等学校 (旧制)|旧制東京高校尋常科]]に入ったとき、修身の時間に[[教育勅語]]を暗誦できなかったため、「君は教育勅語を知らんのか、いったいどこの小学校からきた」と教師から怒られ、「慶應義塾の幼稚舎です」と答えたが、「幼稚園のことをきいているのではない、小学校はどこだ」と怒鳴られたという。{{Cite book|和書
|author = 南博
|title = 出会いの人生…自伝のこころみ
|origdate = 2004-12
|publisher = [[勁草書房]]
|series = 南博セレクション
|isbn = 9784326698417
|pages = p. 8
}}</ref>。
 
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