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== トゥグルグ朝使節を巡る事件 ==
 1329年、インドのトゥグルグ朝第二代スルタン・[[ムハンマド・ビン・トゥグルク|ムハンマド]]がマムルーク朝に派遣した使節がラスール朝に捕らえられ贈物を没収したとされる事件が発生した。翌1330年ラスール朝からマムルーク朝派遣された使節をスルタン=ナースィルは投獄させた。その後インドから再度マムルーク朝に使節が送られたが、使節はイエメン・ルートを避けてイラク経由で往復した。この一件は複数の史料(イブン・ハジャル(ibn Ḥajar)、ヌワイリー(al‐Nuwayrī)、マクリーズィー、[[イブン・バットゥータ]])に記載されている。史料毎に若干内容が異なっているものの、当時のラスール朝の交易・外交上の立ち位置を象徴する内容となっている<ref>家島彦一訳「大旅行記第5巻」pp401-416</ref><ref>家島彦一訳「大旅行記第2巻」pp142-146</ref>。
 
==鄭和の遠征==