「日本評論社」の版間の差分

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==概要==
[[1918年]](大正7年)の創業。創業当初は文藝中心であったが、昭和初期には社会問題・[[社会科学]]の出版が多くなり、[[末広嚴弘厳]]編の法律学関係全集や[[河合栄治郎]]の著書などで売り上げを伸ばし、急発展した。しかし、[[1938年]][[1943年]]の[[河合栄治郎事件]](東大の河合教授が[[二・二六事件]]を批判し、著書が販売禁止になり、出版法違反で起訴された)、[[1942年]][[1945年]]の[[横浜事件]]([[治安維持法]]違反で多くの評論家や出版社が摘発された)と、二つの言論弾圧事件の試練に見まわれた。この時期には、『経済往来』(のち『日本評論』と改題)誌が、[[総合雑誌]]として、『[[改造 (雑誌)|改造]]』『[[中央公論]]』と伍していた。小説作品も、[[宮本百合子]]「三月の第四日曜」や[[幸田露伴]]「連環記」などの作品を掲載し、作品発表の舞台としても、評価されていた。
 
『法律時報』は[[1929年]]創刊で現在も刊行されており、法律以外にも経済・社会・政治・心理・教育・福祉・理工などの本も多く出版している。最近では「夜回り先生」こと[[水谷修]]や[[藤田まこと]]の本なども出版している。
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===書籍===
*[[吉野作造]](代表)編『[[明治文化全集]]』(全24巻、1928-30年)
*[[末広嚴弘厳]]編『現代法学全集』(全39巻、1928-31年)
*[[広嚴弘厳郞]]編『新法学全集』(全36巻、1936-40年)
*[[河合栄治郎]]編『[[学生叢書]]』(全12巻、1936-41年)
*[[河合栄治郎]]『[[学生に与う]]』(1940年)
 
===雑誌===
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== 関連項目 ==
*[[広嚴弘厳郎]](同社から多くの法律関係書を編集出版した)
*[[河合栄治郎]](弟子の[[美作太郎]]が在籍した縁などから、『[[学生叢書]]』『[[学生に与う]]』など多くの編書、著書を日本評論社から出版した)
*[[石堂清倫]](元同社社員、独立し社会評論家)
*[[美作太郎]](元同社社員、独立し[[新評論]]を立ち上げる)
*[[新評論]](同社出身の[[美作太郎]]が設立した出版社。「評論」の名を受け継いでいる)
*[[森田実]](元出版部長・『経済セミナー』編集長。近年も日本評論社から著作を出版)