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'''近藤方昌'''('''こんどう かたみちまさ)'''
1774年([[安永]]3年)~1819年([[文政]]2年)。通称・三助。[[武州]][[多摩郡]]戸吹村(現・[[八王子市]]戸吹町)[[名主]]で[[八王子千人同心]]組頭、[[坂本戸右衛門]]の長男として生まれた。三助は剣の使い手として知られ,[[近藤長祐]]は,三助と手合わせしたことから,[[天然理心流]]を編み出したという。三助は,[[天然理心流]][[免許皆伝]]を受けて,跡取りのいない[[近藤長祐|内蔵助]]の養子となり[[天然理心流]]二代目を襲名した。三助の養子となり三代目を継いだのは[[武州]][[多摩郡]]小山村(現・[[町田市]]小山町)[[名主]]・島崎家の三男[[近藤周助|周助]]。四代目は[[武州]][[多摩郡]]上石原村(現・[[調布市]]野水)出身の[[新撰組]]局長[[近藤勇|近藤勇昌宜]]である。初代[[近藤長祐|内蔵助]]と二代目三助の墓は,[[桂福寺]]([[八王子市]]戸吹町193)にある。