「イラン進駐 (1941年)」の版間の差分

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== 背景 ==
[[第二次世界大戦]]前のイランはイギリスの[[{{仮リンク|アングロ・イラニアン石油会社]]|en|Anglo-Persian Oil Company}}(AIOC)がその石油生産の権限をほとんど握っており、一方的に価格を決定する状況となっていた。イランは[[イギリス領インド帝国|イギリス領インド]]とソビエト連邦に挟まれる位置に存在しており、その両者に対抗する第三国に接近した。イラン皇帝[[レザー・シャー]] (Reza Shah Pahlavi) は、最初はアメリカ合衆国に接近するが、限定的な関係しか持てず、その後ナチス・ドイツに接近する。[[1941年]]6月の[[独ソ戦|ドイツのソビエト侵攻]]により、イギリスとソビエト連邦が連合国となった。これにより、イランは[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]にとって非常に重要な拠点となった。
 
[[アーバーダーン]]の油田は[[1940年]]で800万トンを産出し、連合国の戦争遂行において極めて重要なものであり、それがナチスの手に落ちることをイギリスは恐れた。また、ソビエトにとってもイランは戦略的に重要な拠点であった。