「パヴリク・モロゾフ」の版間の差分

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フョードル
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西シベリア地方のウラル山脈の東、森の中にあるゲラシモフカ村で生まれ育つ。村は貧しかったが、結束が強く独立心旺盛で集団化に応じていなかった。父親のトロフィームは、元赤軍兵士で村のソヴィエト(評議会)議長の職にあり、隣村から農婦のタチアナを嫁に迎えたが、十年目で若い愛人をつくり家庭を捨て同棲しはじめる。村人は本妻に同情せず愛人に好意的だった。タチアナは精神を病み、長男のパヴリクが面倒を見ていた。そのためか学校ではアジテーターとなり、1931年秋、父親が流刑者に逃走用の偽造証明書を売っていたことを当局に密告した。村の学校で裁判は行なわれ法廷で証言しトロフィームは流刑を宣告され労働収容所に送られそこで後に銃殺された。
 
裁判後、自信を深めたパヴリクは9歳の弟フョードルを手下にして他の村人の密告を始めた。父親の親族は止めさせようとしたが1932年9月、何者かによって森の中で弟とともに刺殺された。現在では、兄弟と対立していた村の少年たち、あるいは秘密警察などによる犯行という説もあるが、当時は最初から当局やマスコミは密告を恨んだ親族による報復殺人と解釈し、従兄弟、祖父、叔父たちが逮捕され処刑された。母親のタチアナはレーニンの未亡人の計らいでクリミアに保養地を与えられそこで1983年まで生きた。
1933年から模範的な少年と美化されて英雄に祭り上げられ、彼を礼賛する小説、映画、詩、戯曲、歌、伝記、オペラなどが作られた。教科書に取り上げられ各地で[[銅像]]が作られ同世代の子供達に影響を与えた。