「神仏分離」の版間の差分

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[[Image:Lelelenokeee.JPG|right|300px|thumb|神仏分離に伴う[[廃仏毀釈]]の運動で破壊された石仏([[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]])。]]
{{神道}}
 
'''神仏分離'''(しんぶつぶんり)は、[[神仏習合]]の慣習を禁止し、[[神道]]と[[仏教]]、[[神 (神道)|神]]と[[仏]]、[[神社]]と[[寺院]]とをはっきり区別させること。
 
その動きは早くは[[中世]]から見られる<ref>宮中においても[[即位灌頂]]・[[大元帥法]]・[[御斎会]]をはじめとする仏教儀礼の導入が行われる一方で、神仏隔離・神事優先の原則が古代より一環として守られている分野が存在しており、公家社会においても仏事と神事の間では神事優先の理念が強かった(井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p.168-169・172)。</ref>が、一般には[[江戸時代]]中期後期以後の[[儒教]]や[[国学 (学問)|国学]]や[[復古神道]]に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された'''神仏分離令'''(正式には神仏判然令。[[慶応]]4年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]([[1868年]][[4月5日]])から[[明治]]元年[[10月18日 (旧暦)|10月18日]](1868年[[12月1日]])までに出された[[太政官]]布告、[[神祇官]]事務局達、太政官達など一連の通達<ref>[http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/s_tatu.htm 太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など]</ref>の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。
 
== 前近代の神仏分離 ==
江戸時代に入ると、[[岡山藩]]や[[水戸藩]]、[[淀藩]]などの儒教が興隆した藩を中心に神仏分離政策が行なわれた。[[出雲大社#祭神の変化|出雲大社]]でも17世紀に神仏分離が行われている。
[[出雲大社#祭神の変化|出雲大社]]でも17世紀に神仏分離が行われている。
 
== 明治時代の神仏分離 ==