「タレント政治家」の版間の差分

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作家やタレント等、他分野での高い知名度を持つ議員は[[帝国議会]]創設間もない時期からおり、小説「[[佳人之奇遇]]」で知られる[[東海散士]]は[[1892年]]の[[第2回衆議院議員総選挙|第2回総選挙]]から8回連続当選している。[[1908年]]の[[第10回衆議院議員総選挙]]に、[[日露戦争]]で対露強硬論を唱え「[[七博士意見書|バイカル博士]]」として大衆的人気を集めた[[東京帝国大学]]教授の[[戸水寛人]]が出馬、当選している。ただし、当時の帝大教授のステータスを考えれば現在の学者出身タレント議員とは同列に出来ない面もある(当時の[[貴族院 (日本)|貴族院]]には帝大や[[帝国学士院]]会員の任命枠があった。また戸水は[[法学博士]]であり他の学問と比較すると政治と距離が近い)。
 
[[1898年]]の[[第5回衆議院議員総選挙|第5回総選挙]]と[[第6回衆議院議員総選挙|第6回総選挙]]に芸術家の[[川上音二郎]]、[[1915年]]の[[第12回衆議院議員総選挙]]に歌人の[[与謝野鉄幹]]、[[1928年]]の[[第16回衆議院議員総選挙]]に作家の[[菊池寛]]、[[1946年]]の[[第22回衆議院議員総選挙]]に作家の[[石川達三]]と元[[横綱]][[男女ノ川登三]](立候補時は[[本名]]の坂田供次郎)が立候補しているが、いずれも落選している。男女ノ川の伝記を書いた川端要壽は、「今の選挙なら、男女ノ川や石川ほどの知名度があればまず当選していただろう。時代が悪かったともいえるし、国民が真面目だったともいえる」と書いている<ref>川端要壽「下足番になった横綱」P190、2003年1月1日文庫版初版、小学館文庫(初出1996年)</ref>。また[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員の中には、画家の[[黒田清輝]]、「虎狩りの殿様」で著名となった[[徳川義親]]など、高い知名度を持ち、現在ならタレント議員と目されたような人物が幾人か存在した。前記の戸水寛人と並んで[[七博士意見書|帝大七博士]]として有名になった[[小野塚喜平次]]も、[[帝国学士院]]枠で貴族院議員になっている。ただし徳川義親と黒田清輝は継承した爵位による就任であり、個人の声名のみで議員となったわけではない(徳川は侯爵議員なので本人の能力にかかわらず議員の地位は約束されていた。黒田は子爵議員)<ref>子爵議員は互選であり、黒田は有力者への接待として絵画を贈っていたようである。内藤一成「貴族院」同成社、P76。</ref>。終戦後も貴族院では、ジャーナリストの[[長谷川如是閑]]、作家の[[山本有三]]や[[武者小路実篤]]といった有名人が勅撰議員に選ばれている。
 
[[1946年]]、戦後初の衆議院議員総選挙に[[大選挙区制|大選挙区]]の東京1区から立候補して当選した[[吉本興業]]([[東京吉本]])所属の[[演歌]]師・[[石田一松]]が、一般的にはタレント議員第一号と言われている<ref>[[矢野誠一]] 「タレント議員第一号・石田一松」『さらば、愛しき藝人たち』、矢野誠一、[[文藝春秋]]、[[1985年]]、121-135頁。</ref>。ただ石田当選時には芸能人等を指して「タレント」と表現する用法はまだ存在しておらず、石田は在職中「タレント議員」と呼ばれることはなく、専ら「芸能人代議士」と形容された。
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== 外国におけるタレント政治家 ==
アメリカ合衆国の[[ロナルド・レーガン|レーガン]]元大統領や[[アーノルド・シュワルツェネッガー|シュワルツネッガー]]元[[カリフォルニア州]]知事、[[フィリピン]]の[[ジョセフ・エストラーダ]]元大統領が俳優であった。[[ミネソタ州]]知事・ミネソタ州[[ブルックリンパーク市]]長を歴任した[[ジェシー・ベンチュラ]]は元[[プロレスラー]]であった。また、[[クリント・イーストウッド]]元カリフォルニア州[[カーメル]]市長は俳優や監督を続けている。[[イギリス]]では[[ジェフリー・アーチャー]]が、下院議員から一旦政界[[引退]]して作家になりその後政界復帰している。[[中華人民共和国]]の[[中国人民政治協商会議]]には、スポーツ関係者枠や文化芸術枠が存在し、映画監督の[[チャン・イーモウ|張芸謀]]や女優の[[コン・リー|鞏俐]]などが委員になっている。
 
スポーツ選手ではブラジルのサッカー選手である[[ペレ]]が1995年から3年間[[スポーツ省 (ブラジル)|スポーツ大臣]]をつとめている。アメリカ合衆国の元プロレスラー[[ジェシー・ベンチュラ]]は1990年に[[ミネソタ州]]ブルックリンパーク市長に当選し、1998年から2002年まで[[ミネソタ州]]知事を務めた。また現役のスポーツ選手が政治家となった例では、[[ロシア]]のレスリング選手である[[アレクサンドル・カレリン]]が2000年に現職国会議員として[[シドニーオリンピック]]のレスリング競技に出場して銀メダルを獲得したことがある。クロアチアの格闘家の[[ミルコ・クロコップ]]は現職国会議員時代に試合を組んでおり、来日もしている。