「林正之助」の版間の差分

*亘健太郎([[フルーツポンチ (お笑いコンビ)|フルーツポンチ]])『吉本百年物語 百年感謝 これからもよろしく』(2013年)
 
== エピソード ==
* [[日本プロ野球]]草創期、[[大日本東京野球倶楽部]](現在の[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]])結成に吉本興業が関わった縁があり、吉本興業は第二次世界大戦終戦後の1947年まで読売巨人軍の経営に参画していた。その為、林正之助は吉本から派遣されて読売巨人軍の役員を務めていた。
* [[大正テレビ寄席]]打ち切りの一件と、自身の[[山口組]]との黒い交際で[[永六輔]]から非難された。なお現在で言うところの「[[企業舎弟|暴力団周辺者]]」であることは公然の事実である。
* 昭和34年、過労で肺炎になり入院中の[[大村崑]]を当時高価なメロンを持って見舞いに行った。その際、吉本興行との契約の話を申し出たが「これからは仕事をセーブせな又、倒れるから」と大村が断ると「メロンを持って行って断られたのはあんたが始めてや」と言われている。諦めきれず(うめだ花月劇場の開館当初の客寄せの為)[[花登筺]]を通じて契約。しかしギャラ問題で契約は短期に終わる。その後、吉本と疎遠になっていた大村だが(会長の)晩年に「崑ちゃん、あの時は悪い事したなー」と話す会長と抱き合って再会している。
* [[横山やすし]]を可愛がり、やすしがトラブルを起こした時もかばい続けた。しかしやすしが吉本との契約解消に至った時は、「反省の色が無い。これ以上面倒見切れんし、世間も許さんでしょう」とコメントした。また仁鶴に対しては「さん」付けで呼んでいた。
* [[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]が東京進出する前に[[なんばグランド花月]]で漫才を公演した時、[[浜田雅功]]が冗談で「会長の杖は殴るために持っている」と言った後に、公演後に「人を殴る為に持ってへんぞ」と突っ込みを入れた。
* なんばグランド花月の完成から亡くなる3ヶ月前まで、毎日行われる興行を視察した。
* 当時の部下だった[[木村政雄]]が劇場の興行システムを10日ごとから7日ごとに変更することを直訴したところ一発返事で承認した。
* 自身の一代記を描いた「にっぽん笑売人」で冒頭とエンディングに出演。自身を演じた沢田研二等と対談した。最終回前にナレーションの桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])と自身の銅像前で対談し、三枝に「わしの銅像の隣に、お前の銅像も作ったるわ」と笑いながら話した。なお、未だに三枝の銅像は作られていない。
* レコード会社乗っ取り未遂を起こした際には相手方の会社に乗り込んで、「わしが田岡親分に電話一本連絡すれば、山口組の300人の兵隊が来て血の雨を降らすぞ」と息巻いた。
*晩年、のちに東京本社の社長になる[[横沢彪]]に向かって「こんなん(新入社員)が(会社に)入ってきたら日本はつぶれまっせ」と落胆した。これは横沢によると、バブル景気が盛んな時期に男が女の便利な遊び道具にされ、結果使い捨てられるところを偶然見ていたからとの事で、これを見た林は悔しくてたまらなかったとのこと。
 
== 関係項目・人物 ==
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