「石の花 (プロコフィエフ)」の版間の差分

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作曲当時、プロコフィエフは[[ジダーノフ批判]]によって苦しい状況に陥っていた。その上、病の悪化により医者から1日30分にまで作曲の時間を減らされたが、驚異的な速さで曲を完成させた。友人の[[ニコライ・ミャスコフスキー|ミャスコフスキー]]の1949年8月27日の日記には「PRはひどく悪い。なのに彼は『石の花』を書いた。巨大な実に見事な音楽」と書かれている。
 
激しいドラマが展開する『[[ロメオとジュリエット_(プロコフィエフ)|ロメオとジュリエット]]』、穏やかで古典的な雰囲気を持った『[[シンデレラ_(プロコフィエフ)|シンデレラ]]』に続き、物語や音楽のスケールは再び拡大し、[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー=コルサコフ]]、[[アレクサンドル・ボロディン|ボロディン]]、[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]などの伝統に根ざした、民族色の強い「国民的バレエ」として作曲されている。
 
バレエはすぐに[[モスクワ]]の[[ボリショイ劇場]]で初演される予定だったが放置され、実際に上演されたのは作曲者の死後となった。上演に備えた改訂は作曲家の死の日まで行われていた。