「慈円」の版間の差分

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また、当時異端視されていた[[専修念仏]]の[[法然]]の教義を批判する一方で、その弾圧にも否定的で法然や弟子の[[親鸞]]を庇護してもいる。なお、親鸞は[[治承]]5年([[1181年]])9歳の時に慈円について得度を受けている。
 
歌人としても有名で家集に『[[拾玉集]]』があり、『[[千載和歌集]]』などに名が採り上げられている。『[[沙石集]]』巻五によると、慈円が[[西行]]に天台の真言を伝授してほしいと申し出たとき、西行は和歌の心得がなければ真言も得られないと答えた。そこで慈円は和歌を稽古してから再度伝授を願い出たという。また、『[[井蛙抄]]』に残る逸話に、[[藤原為家]]に出家を思いとどまらせて[[藤原俊成]]・[[藤原定家]]の跡をますます興させるようにしたという。『[[小倉百人一首]]』では、「おほけなく うきよのたみに おもふかな わがたつそまに すみぞめのそで」の歌で知られる
[[越天楽今様]]の作詞者でもある(歌詞は[[:s:謡物]]を参照)。
 
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