「国分川 (千葉県)」の版間の差分

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17時18分頃、係員4人がトンネルの奥へ向かう最中に仮締切が決壊。鉄砲水が押し寄せトンネルは水没。工事主任は竪坑の階段にしがみついて避難したが、係員4人と作業員3人、計7人が水に飲み込まれ水死した。当日21時より排水作業が開始されたが、水位が下がらない上にトンネル内は酸欠状態のため救出作業は難航した。遺体が発見されたのは事件発生3日後であった。そんな中事件発生日の翌日にあたる[[9月20日]]に、酸欠による耐圧強度低下によりトンネル上部のとちのき通りが一部陥没し、周辺住民が避難するという事態も発生した。
 
工事責任者(国分川建設課長)の判断ミスもさることながら、情報伝達の遅れや仮締切について(設計者の意図とは異なる設計になっていた)も一因として問題視された。飛鳥建設とその現場代理人は書類送検の上で罰金刑20万円となり、そして当時の国分川建設課長は[[1998年]](平成10年)4月、[[東京高判所|東京高裁]]で執行猶予3年禁錮2年の判決が下された(最高裁への上告棄却により確定)。千葉県側は仮締切の設置管理を担っていたこともあり、作業継続指示ではなく緊急時の退避指示義務を怠ったことに過失があるとした。
 
この事件以来中断されていた分水路工事は、翌年[[1992年]](平成4年)[[8月21日]]になって再開された<ref>[http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbgikai/dsweb.cgi/documentframe!1!guest06!!23613!1!1!1,-1,1!1878!148564!1,-1,1!1878!148564!7,6,5!53!87!17!3!51?Template=DocOneFrame 千葉県議会会議録 平成4年9月定例会第2日目(9月29日)]</ref>。