「ブルース・セルドン」の版間の差分

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「アトランティックシティ・エクスプレス」という異名を持って1988年10月4日にデビューした。デビュー戦ではジョエル・マックグローを1ラウンドKOで破り、以来18連勝を記録。しかもこの間の連勝中、エルザ・セラーズ、オジー・オカッシオ、デビッド・ベイ、ホセ・リベルタなど並みいる強豪を倒してきた。
 
1991年4月18日、後の[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ヘビー級王者になる[[オリバー・マッコール]]に初黒星を喫した。この試合では9ラウンド終了までは明らかにポイントでリードしていたが、体調不良のためそれ以上続けられなかった。この結果スリーノックダウンでセルドンの負けとなった。次の試合でも、後の[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]・[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ヘビー級チャンピオン、[[リディック・ボウ]]に1RKO負け、マスコミからは「小さい」「限界が見えた」と酷評されることになる。
 
しかし、その後のセルドンは続く4年間で13勝1敗の成績を収めた。この間の試合には、前のWBAヘビー級チャンピオンである[[トニー・タッブス]]に判定で敗れた試合や、やはり前のWBAヘビー級チャンピオンである[[グレグ・ペイジ]]にTKOで勝った試合がある。1995年4月8日、セルドンは空位のWBAヘビー級王座を[[トニー・タッカー]]と争った。[[ジョージ・フォアマン]]がランク1位のタッカーと戦わず[[アクセル・シュルツ]]と戦ってタイトルを剥奪されたためである。セルドンはこの時、WBA世界ランク2位だった。セルドンはタッカーを7ラウンド終了後TKO負けで破ったが、これがタッカーにとって初めてのKO負けとなった(マイク・タイソンと[[レノックス・ルイス]]に喫した以前の2敗はいずれも判定負けである)。1回目の防衛戦では、世界ランク4位のジョー・ヒップを10ラウンドTKOで下した。