「皇達也」の版間の差分

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[[広島大学附属中学校・高等学校]]、[[慶應義塾大学]][[文学部]]卒業<ref name="ブラウン管"/>。慶應在学中からNET(現・テレビ朝日)でアルバイトをし卒業後、同局入社(社員に登用)。
 
ドラマスタッフを経て[[バラエティ番組]]担当となりその後、同局の人気番組を手がける看板プロデューサーとして活躍。映画、演劇、新聞といったあらゆるジャンルから集まって、テレビという怪物に立ち向かった先輩たちを"テレビ第一世代"と名付け、自らを純粋テレビ育ちの"テレビ第二世代"を自認<ref name="ブラウン管"/>。外部との交際が上手でないといわれたNETの社風を破り、[[プロダクション]]、[[レコード会社]]、他局の同業者と交際を広げた<ref name="ブラウン管"/>。その積極姿勢が実り、皇は[[萩本欽一]]、[[タモリ]]、[[武田鉄矢]]、[[ビートたけし]]など、当代のテレビスターの中でも、最もテレビ的なタレントを掌中に収め<ref name="ブラウン管"/>、同時期に情報・報道系番組のプロデューサーとして活躍していた[[小田久栄門]]とともに「テレ朝の天皇」の異名を奉られた。制作局長、スポーツ局長、事業局長などを経て[[1999年]]に取締役に就任。その後テレビ朝日サービスに社長、顧問を経て現在は[[ジャパン・コンテンツ・コンサルティング]]社長。
 
== 略歴 ==