「ニネヴェ」の版間の差分

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新アッシリア王国時代に、[[センナケリブ]]がニネヴェに遷都して以降、帝国の首都として大規模な建築事業や都市の拡張が行われた。この時期に街は二重の城壁で囲まれ、クユンジクの丘には宮殿が相次いで建設された。[[アッシュールバニパル]]王の[[図書館]]があったのはこの都市であり、[[バビロン]]にあったとされる[[バビロンの空中庭園|空中庭園]]は実際にはニネヴェにあったとする説もある。
 
[[紀元前7世紀|紀元前632612年]]、[[メディア王国|メディア]]と[[バビロニア]]と[[スキタイ]]の攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸の[[モースル|モスル]]に移った。なおモスルは現在も、[[クルド人]]からニネヴェ、[[ネストリウス派]]の[[アッシリア人]]からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、[[ニーナワー県]]もニネヴェの名に由来する。
 
== 旧約聖書 ==