「第17回都市対抗野球大会」の版間の差分

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*この大会から3位決定戦が行われるようになった。
*優勝したのは初出場の[[岐阜市]]・大日本土木。戦前に[[日本の高校野球|中等学校野球]]の甲子園大会で活躍した[[岐阜県立岐阜商業高等学校|岐阜商業]]出身者を多く集め、投打がかみ合って初出場初優勝を果たした。
*本来であれば優勝チームには黒獅子旗が授与される予定であったが、[[第16回都市対抗野球大会|前回大会]]の優勝は朝鮮の全京城。関係者は黒獅子旗は戻ってこないと諦め、実際戻ってこなかったため、閉会式では大日本土木に表彰状のみが授与された。しかし、全京城で3番を打っていた秋山光夫中堅手が、大陸からの引揚げ船に乗る際に黒獅子旗を自らの体に巻きつけ、アメリカ軍の所持品検査に遭った場合まで想定して命がけで帰国([[1945年]][[10月14日]])。秋山は郷里の丸亀に帰還し、地元の有力者に黒獅子旗を預けた。その後丸亀市長が、地元に優勝旗があるという話を聞き、毎日新聞社に連絡。秋山から毎日新聞社に黒獅子旗が返還され、[[小野三千麿]]記者の手により、1946年10月、大日本土木本社において改めて授与式が行われた。この黒獅子旗は老朽化により[[第45回都市対抗野球大会|第45回大会]]を最後に2代目と交代し、現在では[[野球体育博物館(現・公益財団法人 [[野球殿堂博物館]])に所蔵されている。
 
==出場チーム==