「北京語」の版間の差分

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北京は、[[春秋戦国時代]]には小国[[燕 (春秋)|燕]]の首都'''薊'''(けい)であった。[[秦]]・[[漢]]時代に'''北平'''(ほくへい)と呼ばれるようになり、[[隋]]代には[[大運河]]の起点となるなど、要所となった。[[五代十国時代]]に、[[内モンゴル自治区|内モンゴル]]から南下してきた[[遼]]帝国は[[燕雲十六州]]の割譲を受け、副都の一つ'''南京'''とした。[[金 (王朝)|金]]が遼を滅ぼすと、ここに遷都して'''中都'''した。[[元 (王朝)|元]]も金を滅ぼして'''大都'''と改称して、都とした。[[明]]が元を追い出した後、都はいったん[[南京市|南京]]に移され、北平の名に戻されたが、朱棣(後の[[永楽帝]])によって都を戻し'''北京'''が復活した。[[中華民国の歴史|中華民国]]も北京を首都としたが、[[蒋介石]]の[[中国国民党]]政権は、[[南京市|南京]]を首都として、北京を'''北平'''と改称した。[[中華人民共和国]]成立後、再び首都北京となり、今に至っている。このように、北京は金以来の首都として、全国から人が集まる場所であったが、北方民族の支配を長く受けたために、[[文法]]や[[語彙]]に北方諸語の影響が見られる。一方、全国から官吏を集めるための[[科挙]]制度も、都北京の言葉によって行われていたため、全国の為政者や知識人に影響を与える言葉となっていた。
 
このため、北京語は[[中華民国の歴史|民国期]]に公用語として創られた'''国語'''の基となっており、その国語を基に[[中華人民共和国]]の標準語である'''[[普通話]]'''が創られた。ただし語彙語法に文言の要素が少なからず加えられている。現在の[[中華民国]]([[台湾]])で使用されている国語は普通話と基本的に同一言語であるが、両国の言語政策・文化的差異によって語彙などに若干の差異が見られ、発音にも多少の違いがある。[[シンガポール]]などの[[東南アジア]]の[[華人]]社会では'''華語'''とも呼ばれる。
 
== 特徴 ==