「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の版間の差分

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また、近年では[[アフリカ連合]]の活動に積極的に参加し、[[アフリカ合衆国]]構想や[[汎アフリカ主義]]を擁護するなど、リビア外交の重点が「アラブ」から「アフリカ」に移りつつあると見る向きもあった。
 
[[1974年]][[1月]]にはチュニジアと共同で合邦を宣言し、[[アラブ・イスラム共和国]](チュニジア・リビア連合)の成立を宣言したが、この連合は即座に消滅した。この後チュニジアとの関係は悪化し、1980年にチュニジアで40人以上の死者を出した[[{{仮リンク|ガフサ事件]] (1980年)|fr|Événements de Gafsa (1980)}}はリビアが黒幕だったといわれている。1985年にはチュニジア国境に軍隊を集結し、チュニジアを威嚇した。
 
[[1980年]]には[[チャド]]と国境紛争を行い、多大な損害を受けた。