「1948年アメリカ合衆国大統領選挙」の版間の差分

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=== 進歩党の指名 ===
[[ファイル:Henry A. Wallace.jpg|thumb|right|200px|進歩党の候補者、元副大統領[[ヘンリー・A・ウォレス]]]]
一方、民主党は崩壊した。[[進歩党 (アメリカ 1948)|進歩党]]が1948年に新たに結党され、[[フランクリン・ルーズベルト]]政権で農務長官と[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]を務めたヘンリー・A・ウォレスを大統領候補に指名した(進歩党という名前は[[1912年アメリカ合衆国大統領選挙|1912年]]の[[セオドア・ルーズベルト]]および[[1924年アメリカ合衆国大統領選挙|1924年]]の[[ロバート・ラフォレット]]が使っていた)。1946年にトルーマン大統領は、ウォレスがトルーマンの[[ソビエト連邦|ソ連]]に対する確固たる姿勢を公然と批判したときに、商務長官だったウォレスをクビにしていた。1948年のウォレスの綱領は冷戦、マーシャルプランおよび大企業に反対するものだった。ウォレスはまた黒人や女性に対する差別を終わらせ、最低賃金を補償し、下院[[非米活動委員会]]を排除することを要求していた。非米活動委員会は合衆国政府や労働組合の中で[[共産主義]]者スパイの問題を調査していた。ウォレスとその支持者は、委員会が政府職員や労働組合の公民権を侵害していると考えた。しかし進歩党は、彼等が合衆国よりもソ連に忠実な共産主義者によって密かにコントロールされているという一般に拡がった思いこみによって、大きな議論の種を生み出してしまった。ウォレス自身は共産主義者であることを否定したが、共産主義者の支持を否定することは何度も拒んでおり、ある時点では、「共産主義者は初期キリスト教の[[殉教者]]に近いものがある」と言ったとされている。
 
フィラデルフィアで開催された進歩党党員集会は活発な議論を呼んだ。H・L・メンケンやドロシー・トンプソンのような著名な新聞記者数人は、進歩党が極秘に共産主義者にコントロールされていると公然と告発した。進歩党の指導者数人(例えば[[社会主義]]者の指導者ノーマン・トマス)は、ウォレスに不当な共産主義者の影響力が及ぼされていると認識されることについて反対し離党した。トマスはウォレスに対する代案として非共産主義者の革新を提案するために[[アメリカ社会党]]の大統領候補として出馬した。
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| [[ストロム・サーモンド]] <br /> [[サウスカロライナ州]] || [[州権民主党|ディキシークラット党]] || 1,175,930 || 2.4% || 39 || [[フィールディング・L・ライト]] <br /> [[ミシシッピ州]] || 39
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| [[ヘンリー・A・ウォレス]] <br /> [[アイオワ州]] || [[進歩党 (アメリカ 1948)|進歩党]]<br/>アメリカ労働党 || 1,157,328 || 2.4% || 0 || [[グレン・H・テイラー]] <br /> [[アイダホ州]] || 0
|-
| [[ノーマン・トーマス]] <br /> ニューヨーク州 || [[アメリカ社会党]] || 139,569 || 0.3% || 0 || タッカー・P・スミス<br />[[ミシガン州]] || 0