「エンメルカル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 17 件をウィキデータ上の d:q351543 に転記
編集の要約なし
1行目:
'''エンメルカル'''('''Enmerkar''')は、古代[[メソポタミア]]、[[ウルク (メソポタミア)|ウルク第1王朝]]の伝説的な王。[[ウルク (メソポタミア)|ウルク]]を建設したる者として記録される他、[[シュメール]]神話においては[[文字]]の発明者とされる
 
== 略歴 ==
== エンメルカル伝説 ==
[[シュメール王名表]]によれば、エンメルカルはウルク第1王朝の最初の王[[{{仮リンク|メスキアッガシェル]]|en|Mesh-ki-ang-gasher}}の息子として生まれ、420年間在位したとされる。他の伝説ではエンメルカルは太陽神[[{{仮リンク|ウトゥ]]|en|Utu}}(Utu)の息子とされている。
 
[[ウルク (メソポタミア)|ウルク]]を建設したる者として記録される他、[[シュメール]]神話においては[[文字]]の発明者とされる。
 
エンメルカルは後世、ルガルバンダや[[ギルガメシュ]]と並んで尊崇の対象となった王であるが、その実在の可能性については議論がある。
 
== エンメルカル伝説 ==
エンメルカルに関する主要な伝説は『{{仮リンク|エンメルカルとアラッタの領主|en|Enmerkar and the Lord of Aratta}}』、『{{仮リンク|エンメルカルとエン・スフギル・アナ|en|Enmerkar and En-suhgir-ana}}』の二つである。
 
=== エンメルカルとアラッタ市の領主 ===
『エンメルカルとアラッタ市の領主』によれば、エンメルカルが金属細工や工芸品で知られた都市アラッタを服属させようとした。しかしアラッタ市はウルクから7つの山を越えた[[エラム]]にあった。降伏を勧告する使者を立てるものの彼はエンメルカルの長大な言葉を覚えることができず、何度練習しても復唱できなかった。そこでエンメルカルは[[粘土板]]を整え言葉を粘土板の上に置いた(即ち文字を記した)。使者はアラッタに到着し、粘土板に書かれた言葉通りに降伏を勧告し、アラッタの領主を威圧した。これが最初の文字記録であるとされている。
 
12 ⟶ 18行目:
これは考古学的事実から分かっている[[楔形文字]]の歴史とは相容れないが、シュメール人達が文字の発生を語った神話として重要性は計り知れない。
 
=== エンメルカルとエン・スフギル・アナ ===
『エンメルカルとエン・スフギル・アナ』はエンメルカルとアラッタの領主の戦いを語った伝説である。この中で魔術を用いてアラッタと戦ったという。最終的にアラッタはエンメルカルに服属したとされる。また彼の8人の息子は、エンメルカルの遠征に従軍したとされている。その末弟が彼の後継者とされる[[ルガルバンダ]]であった。
 
エンメルカルは後世、ルガルバンダや[[ギルガメシュ]]と並んで尊崇の対象となった王であるが、その実在の可能性については議論がある。
 
[[Category:シュメールの君主|えんめるかる]]