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[[1941年]]以降、[[軍医]]として[[中華人民共和国|中国]]、[[フィリピン]]、[[ミャンマー|ビルマ]]を転戦した。復員後久留米市にて医院を開業。[[医師]]として働く傍ら詩作を行う。[[1947年]]、[[安西均]]、野田宇太郎らと詩誌「母音」を創刊。[[谷川雁]]、[[川崎洋]]、[[有田忠郎]]ら九州の詩人たちが参加した。1973年第1回久留米市文化賞受賞、1974年第33回西日本文化賞受賞。1989年、日本現代詩人会主宰の先達詩人顕彰受賞。1963年には[[ルイ・アラゴン|アラゴン]]主宰の『フランス文学』誌上で「十人の日本詩人」の一人に選ばれるなど、国際的評価も高い。氏の功績を記念して1992年に「[[丸山豊記念現代詩賞]]」がつくられ、[[谷川俊太郎]](第1回)、[[新川和江]](第3回)、[[まどみちお]](第11回)らが受賞している。
 
作詞では、母校の「久留米大学校歌」を手がけた他、[[團伊玖磨]]の合唱組曲「[[筑後川 (團伊玖磨)|筑後川]]」「大阿蘇」「海上の道」「玄海」、[[NHK全国学校音楽コンクール]]課題曲「水のうた」([[大中恩]]作曲)などがある。
 
福岡県[[小郡市]]に病院を開設。[[九州朝日放送]][[取締役]]、久留米市[[教育委員]]も務めた。