「都市国家」の版間の差分

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最初に農業を行ったとされる人間は、[[古代オリエント]]の[[メソポタミア|メソポタミア文明]]における[[シュメール|シュメール人]]であり、彼らが最初の都市国家を築いた。都市の中心に[[神殿]]を持ち、集落の周りに城壁を築き、城壁外の農地や牧地とともに独立した国を形成していたシュメール文明の都市国家群がその原初的な形態である。
 
[[アテナイ]]などの[[古代ギリシア]]の小国家群や[[古代ローマ]]、他にも[[古代インド]]([[インダス文明]])、古代中国([[黄河文明]]、[[中国語]]では「或」や「邑」と呼ばれた)、[[古代ギリシア]]の小国家群や古代イタリアなど、古代には世界各地で見られる。
 
初期の都市国家は、都市周辺の農地・牧地において食をまかなう自給体制であったが、。次第に隣接する都市国家どうしでの交易がはじも始ると、交易に専従し、都市生活者の食をまかなうに十分な農地・牧地を持たない都市国家も成立した。
 
[[日本]]では[[加茂岩倉遺跡]]、[[吉野ヶ里遺跡]]の発見から、[[弥生時代]]に都市国家群を形成していたと推定できる。近年は[[三内丸山遺跡]]の発見により、[[縄文時代]]にまで起源が遡ることとなった。
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人間が都市国家を形成する時代になっても、都市国家に参加しない人々もいた。古代中国においては、そういう人々は[[野人]]と呼ばれた。
 
一般に都市国家群の国際関係においては、強大な都市国家が弱小な都市国家を従属させたり、相互に同盟を結んだりすることで、密接な結合外交関係を持つようになる傾向がある。こうして形成された都市国家の連合は、古代ギリシアにおいてアテナイが盟主となって加盟する都市国家を従属させた[[デロス同盟]]がよく知られている。[[殷]]・[[周|西周]]・[[春秋時代]]の王や覇者を中心とした秩序がよく知られている。古代ギリシアにおいてアテナイが戦争により他の都市国家を従属させた[[デロス同盟]]もこうしたものであった。[[アメリカ大陸]]の[[マヤ文明]]諸都市も、[[アステカ]]によって統合された。
 
都市国家の連合によるネットワーク型の国際曖昧な秩序は、時として様々な内的、外的要因により領域国家に転換する。都市国家連合が完成すると、都市外部であっても連合の内部においてはある程度の秩序が生まれ、治安が保たれ、都市国家とは無縁に生活する人々も都市国家連合の中に組み込まれていくこととなる。地中海世界における[[ローマ帝国]]、イラン高原からメソポタミア、東地中海世界を統治した[[アケメネス朝]]、[[東アジア]]ではにおける[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の諸王([[戦国七雄]])の統治下の諸国やそれらを統合した[[秦]]・[[漢]]帝国、地中海世界における[[ローマ帝国]]、といったものがそれである。こうした転換の結果、都市国家は単なる地方単位(中国語では「県」という)になっていった。日本の[[大和朝廷]]の成立も、弥生時代の都市国家の連合が、領域国家へ転換したと見ることができる。
 
=== 中世における都市国家 ===