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'''シモン・ド・モンフォール'''(Simon de Montfort, 6th Earl of Leicester , [[1208年]] - [[1265年]][[8月4日]])は、[[イングランド]]の[[貴族]](第6代レスター伯)。イングランドの[[議会]]制度の基礎を作り上げた人物として有名で、不当な権力に反抗する不屈の闘士として、イングランドでは英雄視されている。
 
シモンの父は[[フランス]]の[[ノルマンディー]]出身の名門貴族であり[[アルビジョア十字軍]]で活躍した彼と同名の[[w:Simon de Montfort, 5th Earl of Leicester|シモン・ド・モンフォール4世(第5代レスター伯)]]である。
 
シモンは[[1230年]]にイングランドに渡って、[[1239年]]に[[レスター]]伯となった。はじめは[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]の寵臣として重用され、その妹[[エリナー・オブ・レスター|エリナー]]を妻として与えられるほどであったが、[[1248年]]に[[フランス]]の[[ガスコーニュ]]における統治に失敗してヘンリー3世の信頼を失い、対立するようになる。