「前田斉広」の版間の差分

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== 来歴 ==
重教が家督を譲って隠居したときにはまだ生まれておらず、父が年をとってから生まれた息子である。初めは[[前田斉敬|斉敬]]の初名と同じく'''利厚'''(としあつ)と名乗る。しかし、斉敬が夭逝したので、[[享和]]2年([[1802年]])に叔父である第10代藩主[[前田治脩|治脩]]の養子となり、治脩の隠居により家督を継いだ。兄同様、将軍[[徳川家斉]]より[[偏諱]]を賜って'''斉広'''に改名。同年6月に正四位に叙任される。文政5年([[1822年]])、嫡男の[[前田斉泰|斉泰]]に家督を譲って隠居し、文政7年(1824年)に43歳で没した。
 
[[芥川龍之介]]の短編小説「煙管」(1917年)では、金無垢の煙管をモチーフとして、坊主たちと役人たちと斉広(作中では名を「なりひろ」と読んでいる)との心理的駆け引きがユーモラスに描かれている。