「法相宗」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Qusayanus (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
16行目:
[[日本仏教]]での法相宗は、[[南都六宗]]の一つとして、[[遣唐使]]での入唐求法僧侶により数次にわたって伝えられた。
* [[653年]](白雉4年) [[道昭]]が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後[[飛鳥]][[飛鳥寺|法興寺]]でこれを広めた。
* [[658年]]([[皇極天皇|斉明天皇]]4年) 入唐した'''[[智通]]'''・'''[[智達]]'''等も法相宗を広めた。これらは同系統に属し、[[平城京|平城右京]]に[[元興寺]]が創建されると法相宗も移り、元興寺伝、南伝といわれた。
* [[703年]](大宝3年) [[智鳳]]、[[智雄]]らが入唐した。
* [[717年]](養老元年) 入唐した[[義淵]]の弟子[[玄ボウ|玄昉]]も、ともに[[濮陽]]の[[智周]]に師事して法相を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝といわれる。