「ヤン・ファン・デン・ヘッケ」の版間の差分

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ヤン・ファン・デン・ヘッケはアントワープで生まれてその地で亡くなった。画家であった[[ガスパール・ファン・デン・ヘッケ]]の元で修業した後、[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]の工房に入る。彼の兄の[[ロベルト・ファン・デン・ヘッケ]]も画家である。
 
彼とその父親は1635年に[[フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)]]に捧げられたアーチの装飾で知られてた。この中でヤンは ''Triumphal Entrance of Cardinal Prince Ferdinand of Spain'' を手掛けたが、この作品は現在[[ウフィツィ美術館]]に所蔵されている。彼はフェルディナント3世の命で1637年以降にオーストリアに向かい、以後約10年間をそこで過ごす。彼はフェルディナント3世の兄弟[[レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ|レオポルト・ヴィルヘルム]]の肖像画も描いている。他には宗教画や寓意画が残っている。これ以前に[[ローマ]]に滞在していたこともある。
 
彼の作品『悪徳と美徳に挟まれたヘラクレス』(ウフィツィ美術館)はルーベンスと、ルーベンスの弟子であった[[アンソニー・ヴァン・ダイク]]の影響が見られる。長い間ルーベンス作と考えられていたが、現在ではヤン・ファン・デン・ヘッケ作となっているものもある。