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'''コリマ川'''(コルィマ川、Kolyma、{{Lang-ru|Колыма́}})は、[[ロシア]]の[[シベリア]]北東部を流れる[[川]]で、[[マガダン州]]から[[サハ共和国]]、[[チュクチ自治管区]]を流れる。
 
== 流域地理 ==
=== 流域開発 ===
水源は[[オホーツク海]]の港町[[マガダン]]のすぐ北にある山地で、[[北極海]]の一部である[[東シベリア海]]へと注ぐ。山地を出た後は無数の湖沼のある湿地帯・コリマ低地を蛇行し、途中で[[オモロン川]]などの大きな支流をあわせる。
=== 都市支流 ===
*[[オモロン川]]
 
=== 都市 ===
主な町は上流のマガダン州にあるデビン、河口付近の港[[チェルスキー]]のほか、コリマ川地方の古くからの中心地である中流の[[スレドネコリムスク]]の町がある。
 
== 気候 ==
年に250日は、水面下数メートルまで凍結する。凍結していない時期は6月初めから10月までの間だけである。
流域の[[コリマ]](コルィマ)地方は[[永久凍土]]と[[ツンドラ]]に覆われ、冬の気温は-19度から-38度、夏の気温は3度から16度と低温である。
 
== 資源歴史 ==
=== 流域開発 ===
[[金]]、[[銀]]、[[銅]]、[[プラチナ]]、[[タングステン]]、[[石炭]]、[[石油]]など天然資源は非常に豊富なことで知られる。
流域には[[チュクチ|チュクチ族]]、[[ユカギール|ユカギール族]]、[[:en:Evens|エヴェン族]]などの先住民が住むが、早い時期に[[ロシア人]]の毛皮商人が入り、ロシア帝国に併合された。
 
その下流の姿は長年謎だったが、[[1820年]]には[[フェルディナント・フォン・ウランゲル]]により流域が調査され、下流は[[アメリカ大陸]]や未知の島などの陸地ではなくすべて海であることが明らかになった。
== 都市 ==
主な町は上流のマガダン州にあるデビン、河口付近の港[[チェルスキー]]のほか、コリマ川地方の古くからの中心地である中流の[[スレドネコリムスク]]の町がある。
 
[[1892年]]から{{仮リンク|エドゥアルド・トーリ|en|Eduard Toll}}(Baron Eduard Von Toll)が[[ロシア科学アカデミー]]の依頼でコリマ川など極東の河川の流域調査に出発し、1年余りで流域の広い範囲の地理を調査した。
== 流域開発 ==
流域には[[チュクチ|チュクチ族]]、[[ユカギール|ユカギール族]]、[[:en:Evens|エヴェン族]]などの先住民が住むが、早い時期に[[ロシア人]]の毛皮商人が入り、ロシア帝国に併合された。その下流の姿は長年謎だったが、[[1820年]]には[[フェルディナント・フォン・ウランゲル]]により流域が調査され、下流は[[アメリカ大陸]]や未知の島などの陸地ではなくすべて海であることが明らかになった。また[[1892年]]から[[エドゥアルド・トーリ]](Baron Eduard Von Toll)が[[ロシア科学アカデミー]]の依頼でコリマ川など極東の河川の流域調査に出発し、1年余りで流域の広い範囲の地理を調査した。
 
=== 政治犯の流刑地 ===
[[ヨシフ・スターリン]]の時代、[[1932年]]から[[1954年]]にかけてコリマ地方には多数の[[グラグ]]([[強制労働]]収容所)が建設された。[[政治犯]]は、連邦各地から[[沿海州]]の[[マガダン]]までの海路を経てこの流域に送り込まれ、[[コルィマ鉱山]](金鉱、[[砂金]]採掘)、[[道路]]建設、[[材木]]伐採などの重労働に従事させられた。特にマガダンからコリマ川上流を経て[[ヤクーツク]]に向かう「{{仮リンク|コリマ街道|en|Kolyma Highway}}」沿道の収容所群で多数の人々が命を落とした。この体験は[[ヴァルラーム・シャラーモフ]]の『コルィマ物語』などに描かれている。
 
=== シベリア抑留 ===
また、[[第二次世界大戦]]後には、多くの[[日本兵]]が[[シベリア抑留]]により、流域各所の収容所で命を落としている。
 
== 支流資源 ==
[[金]]、[[銀]]、[[銅]]、[[プラチナ]]、[[タングステン]]、[[石炭]]、[[石油]]など天然資源は非常に豊富なことで知られる。
*[[オモロン川]]
 
== 住民 ==
=== 民族 ===
[[ロシア人]]、[[チュクチ|チュクチ族]]、[[ユカギール|ユカギール族]]、[[:en:Evens|エヴェン族]]などが住む。
 
== 外部リンク ==