「お昼のワイドショー」の版間の差分

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* 開始 - 1972年3月までは平日の12:30 - 13:30まで、1972年4月 - 1975年3月までは平日の12:00 - 13:00に放送、1975年4月 - 最終回までは、12:55 - 13:00に5分間のミニ番組『'''暮らしのヒント'''』が放送されるため12:55までの放送となった。
* 日本テレビはこの時間帯に主にニュースワイド番組『[[ワイドニュース (日本テレビ)|ワイドニュース]]』等を編成していたが、それを主婦にターゲットを絞って、芸能情報こそ皆無だったが、最近のニュースについての解説(「八丁破れのニュース解説」)や生活に役立つ情報、また[[新倉イワオ]]のライフワーク的な企画で心霊研究家として大ブレークするきっかけを作った(木曜日のレギュラーコーナー、夏休みなどの長期休暇にはまとめて放送された)「怪奇特集・[[あなたの知らない世界]]」、「女の事件」コーナー、「テレビ公開捜査」コーナー等様々な内容が放送された。東京製作のみとなった後も、最初の頃には視聴者参加型のゲーム企画やバラエティショーが放送されていた時期もある。また、夏休み・冬休み・春休みを中心にカラオケ大会を実施していたこともある。
*初代司会は、スタートした1968年夏の参議院選挙で初当選し、「タレント議員」という言葉を世に根付かせた[[青島幸男]]と[[横山ノック]]。夜の看板番組『[[11PM]]』と同じく、隔日ごとに東京・日本テレビと大阪・[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]の製作で放送されており、青島は日テレ発の(「青島のワイドショー」というタイトルにもなっていた)、ノックはよみうりテレビ発の(「ノックのワイドショー」というタイトルになっていた)同番組のメイン司会を担当。開始当初は国会会期中を中心に議員活動との両立で定期的に番組出演や打ち合わせへの参加を見合わせる必要のあった青島ノックともに特定のアシスタント役置かず、毎回登場補佐する進行役として[[中山千夏]]と[[八代英太]](後に2のゲスト一緒も参議院選挙番組進行を出馬し、当選。当初は青島が所属していくとた[[第二院クラブ]]に所属してう形た)採ら参加し、トリオ体制での放送が行われていた(のち、1971年4月からは日本テレビ製作版のみとなり、同時に大阪版のホスト役であったノックも番組を降板、青島・中山・八代のトリオ司会で全曜日の放送が行われるようになった)
*その後、1969年新春からはより一層の番組内容の充実を図る意味合いから、メインホストの青島・ノックを補佐する進行役として[[中山千夏]]と[[八代英太]](後に2人とも参議院選挙に出馬し、当選。当初は青島が所属していた[[第二院クラブ]]に所属していた)が新たに加入し、司会グループを形成しての放送が行われていた(のち、1971年4月からは日本テレビ製作版のみとなり、同時に大阪版のホスト役であったノックも番組を降板、青島・中山・八代のトリオ司会で全曜日の放送が行われるようになった)。
*その後、1973年6月に[[愛知県]][[刈谷市]]で行われた歌謡ショーの司会をしている最中、八代が事故に遭い、下半身不随の重傷を負って長期療養を強いられることになった。しかし、約3か月後の同年8月、番組に復帰。車椅子に乗った司会者として出演した(八代の出演は1978年3月まで)。
*1979年9月に青島は番組を勇退。しばらくの間はサブ司会として出演していた落語家の8代目[[古今亭志ん馬]]がメイン司会となっての放送が行われたが、翌1980年4月より「体操のお兄さん」として有名だった[[砂川啓介]]が新たなメイン司会者として起用され、最後の1年半は元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサーの[[生方恵一]]が司会となった。