「セイバーメトリクス」の版間の差分

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== セイバーメトリクスの歴史 ==
 
軍隊を退役した後に缶詰工場に警備員として勤務していたジェームズが「夜勤の暇つぶしに」自分の趣味である野球データの分析をしていたことがセイバーメトリクスの始まりである。彼は[[1977年]]に ''Baseball Abstract 1977 : Featuring 18 Categories of Statistical Information that You Just Can’t Find Anywhere Else'' (直訳すると、野球梗概 1977 : 知られざる18種類のデータ情報)という68ページの小冊子を[[自費出版]]した。この本でジェームズは「エラーという概念が実情にあっていないこと」などいくつかの従来の常識を覆す仮説の提示と分析を行った。この本の購入者はたった75人であったが、同時期のコンピュータの発達とともにデータ分析の自由度が増し、『野球抄』''Baseball Abstract'' は年を重ねるごとに購読者を増やしていった。読者数の増加とともに野球データの分析を行うファンの数も増えていった。そして、ジェームズはこのデータ分析を”セイバーメトリクス”と名づけた。『野球抄』''Baseball Abstract'' はスポーツ専門雑誌「[[スポーツ・イラストレイテッド]]」のライターの目に留まり、[[1982年]]にニューヨークの出版社から販売されベストセラーとなった。
 
[[1980年代]]に入るとアメリカでは一般にも広く知られた存在となり、統計の専門家も趣味としてデータの分析に当たるようになった。しかし、保守的な勢力が強いメジャーリーグはこのような動きに対して興味を示そうとしなかった。メジャーのデータを管理していたエライアス・スポーツ・ビューロー社もセイバーメトリクス愛好家(セイバーメトリシャン)にはデータを一切提供しようとしなかった。そのため、ジェームズは知人が設立したデータ分析専門の会社、[[STATS]](スタッツ)社(後述)で独自にデータを集計した。さらに、メジャー球団に集計したデータを提供しようとしたが、これも相手にされなかった。STATS社は方針転換し、集計したデータを野球ファン向けに販売した。これが当たって会社は急成長し、スポーツ専門テレビ局[[ESPN]]や全国紙[[USAトゥデイ]]が顧客となり、野球ファンの貴重な情報源となっていった(その後、[[1999年]]にSTATS社は大手テレビ局[[FOXニュース]]に吸収合併された)。
 
しかし、セイバーメトリクスはジェームズの本来の目的である実際の球団運営には反映されることはなかった。一部の実業家は実際に球団のオーナーとなりこれを実践しようとしたが、選手・監督・スカウトの理解を得られず挫折していった。ジェームズは一向に変わらない状況に徐々に熱意を失い、12冊目の『野球抄』 ''Baseball Abstract'' を発行した後、執筆活動をやめてしまった(後に再開)。
 
[[1983年]]に[[オークランド・アスレチックス]]の[[ゼネラルマネージャー|GM]]となった[[:en:Sandy Alderson|サンディ・アルダーソン(Sandy Alderson)]]は、元は[[弁護士]]でプロ選手経験が全く無く、過去の常識に縛られることがあまり無かった。そのため、セイバーメトリクスに興味を持ち、出塁率を徹底重視することをマイナーの選手たちに説いた。[[1995年]]にオーナーの交代によってチームの財政状況が厳しくなると、より効率的に資金を運用するためにメジャーチームでも出塁率・長打率を重視して球団運営を行うようになった(これにより、伝統的価値観を重んじる当時の監督[[トニー・ラルーサ]]との確執は決定的となり、この年限りでラルーサは監督を辞任することになる)。