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開場が1906年で、全英オープンを初開催したのが1977年で、以降2009年まで4回全英オープンを開催している。第一次世界大戦、第二次世界大戦時には飛行場として利用され、12番ホールのグリーンの右手前の小高い丘には第一次大戦のパイロットの記念碑がある。1977年の全英オープン初開催時は[[トム・ワトソン]]が、[[ジャック・ニクラス]]との真昼の決闘を制して優勝した。ワトソンは59歳だった2009年大会でも2位に入ったが、プレーオフの末、惜しくも優勝を逃した。
 
他の全英オープンの開催コースに比べて独特な難しさがあり、2009年大会(7204ヤード、パー70)ではアマチュア時代から通算して14回目の全英出場で、このコース初挑戦だった33歳の[[タイガー・ウッズ]]がティーショットも、アイアンショットも不調で予選落ちを喫するなど、初体験の世界ランキング上位の選手は軒並み苦しんだ。ウッズのメジャー大会での予選落ちは、父親の死去で調整不足だった2006年の[[全米オープン]]以来の出来事で、プロ入りしてから2度目であった。ウッズは好天の初日は71で凌いだが、強風の吹いた2日目にはティーショットがフェアウェイを捉えたのは7度しかなく、10番ホールではティーショットを右に曲げて観衆の後方のラフに飛ばしてしまい、ボールを探すと2個見つかったが、いずれもウッズの物ではなく、ロストボール打ち直しの暫定球プレイ再開して4オンのダブルボギー、13番でもダブルボギーで、16と17番はバーディで持ち直すも、この日のスコアは74、2日間通算5オーバーで予選落ちした。全英初出場・17歳の[[石川遼]]はウッズと2日間同じ組で廻り、初日は68で21位だったが、強風の2日目にはウッズと同じくティーショットがフェアウェイを捉えたことは7度でボギーを連発、10番ホールではフェアウェイ右のラフからの第2打はバンカー中央にある深いラフに捕まり、アンプレヤブル(打球不能状態)で1打罰を選択してこのホールはダブルボギー、この日は78を叩き、2日間通算6オーバーで予選落ちした。2009年の予選通過ラインは4オーバーであり、他の日本勢の予選結果は、[[久保谷健一]]が初日5アンダーでワトソンらと並び2位タイ、2日間通算では3アンダーで予選通過、[[今田竜二]]も3オーバーで悲願の予選通過、[[池田勇太]]7オーバー、[[矢野東]]9オーバー、[[近藤共弘]]10オーバー、[[小田孔明]]14オーバーで予選落ち。4日間通算では、久保谷は4オーバーの284で27位、今田は11オーバーで64位だった。
 
[[全英女子オープン]]では2002年に当地で開催され、[[カリー・ウェブ]]が優勝した。