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{{by|1979年}}、{{by|1980年}}と2年連続で30本塁打以上を放つ。{{by|1981年}}は肩や足の故障に悩まされて79試合出場で15本塁打に終わったが、{{by|1982年}}は大きな故障もなく、2シーズンぶりの30本塁打以上を記録し、キャリア唯一の[[1982年のMLBオールスターゲーム|MLBオールスターゲーム]]出場を果たすなど、ブレーブスの4番打者として成績を重ねた。
 
1983年1月、4年間550万ドルの契約を結んだ。この時の契約は、体重109kgの彼が、シーズン中の金曜日に13回体重を計量し、97.5kg以下の場合に1回あたり約7,700ドル、合計10万ドルのボーナスの出来高契約を含むものであった<ref>97.5㌔に減量すれば10万㌦ 米ブレーブス、109㌔選手とボーナス契約 [[朝日新聞]] 1983年1月21日朝刊17ページ</ref>。
 
{{by|1983年}}、{{by|1984年}}は右手首の故障に悩まされるものの、{{by|1985年}}には幾分回復し、27本塁打を記録。{{by|1986年}}7月6日の対[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]戦で、メジャー史上11人目の1試合4本塁打を達成したが、チームは敗れた。1試合4本塁打を記録した選手が居ながらチームが敗れたのはメジャー史上2回目で、20世紀では唯一であった。また、「デビューから210本連続満塁本塁打なし」という当時のメジャー記録を打ち立てたが、対パイレーツ戦で211本目にして初の満塁本塁打を放ち、この試合での4-2の勝利に貢献した({{by|1998年}}に[[サミー・ソーサ]]が通算248本目で初満塁本塁打を記録して更新した)。同年オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]宣言したが、年俸高騰により各球団のオーナーが示し合わせ、FA選手を締め出したためどこの球団とも契約できなかった。
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=== 著書 ===
* 『地球のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった』[[安西達夫]]訳([[日之出出版]], 1988年3月) ISBN 4891980613
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==