「石山本願寺」の版間の差分

== 沿革 ==
=== 石山御坊時代 ===
[[蓮如]]は[[延徳]]元年([[1489年]])に[[法主]]を[[実如]]に譲り、自身は[[山科本願寺]]の[[山科本願寺#南殿|南殿]]に隠居した。しかし、布教活動は盛んに行われていたらしく、大坂周辺に年に何回か行き来していた。[[明応]]5年([[1496年]])9月に坊舎の建設が開始された。これが後に石山本願寺となり、これを中心に建設された[[寺内町]]が大坂の源流となったと言われている。建設は[[堺]]の町衆、[[北陸地方|北陸]]、[[摂津国|摂津]]、[[河内国|河内]]、[[和泉国|和泉]]、[[北陸地方|北陸]]の門徒衆の援助を得ながら、翌明応6年([[1497年]])4月に上棟があり、同年11月には総[[石垣]]の扉御門が出来、要害の寺院が完成した。蓮如は今までいくつかの坊舎を建設したが、『日本都市史研究』によると、その中でも大坂御坊がもっとも美しいものであったという記録がある、としている。
[[ファイル:Syounyo.jpg|thumb|証如影像/本願寺所蔵]]
なぜ大坂御坊が石山御坊とか石山御堂と呼ばれるようになったのか、理由は明確になっていないが、蓮如の[[孫]]である[[顕誓]]が[[永禄]]11年([[1568年]])に書いた史料によると、
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