「漢口」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 12 件をウィキデータ上の d:q1208250 に転記 |
m 内部リンク等 |
||
1行目:
[[File:Hankow 1915.jpg|thumb|1915年の武漢三鎮。南には長江を挟んで[[漢陽区|漢陽]]と[[武昌区|武昌]]の二つの城郭都市がある。漢口はその北の[[長江]]・[[漢江 (中国)|漢水]]沿いに広がる]]
'''漢口'''([[簡体字]]:{{lang|zh-cn|汉口}}、[[繁体字]]:{{lang|zh-tw|漢口}}、かんこう、ハンコウ、{{ピン音|Hànkǒu}})は[[中華人民共和国|中国]][[湖北省]]にあった都市で、現在の'''[[武漢市]]'''の一部に当たる。
漢口は、もとは夏口鎮という商業都市であった。[[漢江 (中国)|夏水]]という川が[[長江]]に合流する場所にあるため夏口という地名になったが、後に夏水が
漢口は[[1858年]]に結ばれた[[天津条約 (1858年)|天津条約]]により開港し、[[イギリス帝国|イギリス]]・[[ドイツ帝国|ドイツ]]・[[フランス植民地帝国|フランス]]・[[ロシア帝国|ロシア]]・[[大日本帝国|日本]]の5カ国の[[租界]]が置かれた。これ以後、経済が高度に発展した漢口は「東方の[[シカゴ]]」とも呼ばれた。
[[長江]]と[[漢水]]を挟んで鼎立する[[漢陽区|漢陽]]・漢口・[[武昌区|武昌]]の3市(鎮)は[[武漢市|武漢三鎮]]と呼ばれていたが、互いに大河で隔てられており連絡が不便であったため合一することはなかった。[[中華民国の歴史|中華民国期]]の1927年1月に初めて武漢市となり、[[国民政府]]が[[広州市|広州]]から遷都し、4月には武漢特別市となった。8月に[[武漢国民政府]]が[[蒋介石政権|南京国民政府]]に合流すると、再び分割され漢口特別市となった。[[1936年]]には日本総領事館の警察官が殺害される[[漢口邦人巡査射殺事件]]が起き外交問題となった。
[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])中、アメリカ陸軍航空隊の[[B-29_(航空機)|B-29]]爆撃機による漢口大空襲で、駐屯する日本軍部隊もろとも焼夷弾で焼き尽くされ完全に破壊された。
|