「チャニング・ウィリアムズ」の版間の差分

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== 逸話 ==
ウィリアムズの幼少期、ある暴風雪の日曜日に、外に出ることは不可能だと考えたウィリアムズの母、メリーが自宅の中で礼拝を行おうと準備をしていると、窓の外に当時の米国聖公会バージニウィリムズらの教区の主教であったリチャード・チャニング・ムーア主教<!--敬称をつけないと誰だか分からない→表現を変え、敬称を無くしました。-->が教会へ向かって歩いている姿が見えた。これに感激したメリーは、直ちにムーア主教を追って幼いウィリアムズらとともに教会へ急いだという<ref>矢崎 1988年 18頁</ref><ref>大江 2000年 25頁-26頁</ref><ref>伊藤 1979年 14頁-16頁</ref>。
 
日本でキリスト教が禁止されていたある日、ウィリアムズの元に客が来た。客が来ることは珍しいため、ウィリアムズは丁重にもてなした。その客は他に誰か人がいないか心配していたため、他に誰もいない旨を伝えると、おもむろに[[煙管|キセル]]を懐から取り出し、このキセルをキリシタンの魔法で純金のキセルに変えてほしいと言った。ウィリアムズはこれに対し、自分は魔法使いではないと答えると、今度は金持ちの家の蔵に忍び込み金を盗んで逃げる方法を聞いてきた。自分は日本に泥棒の方法を教えるために来たわけではない、とウィリアムズがはっきり断ったため、客は気落ちして帰っていったという<ref>矢崎 1988年 55頁-56頁</ref><ref>伊藤 1979年 31頁-32頁</ref>。