「日本モーターサイクルスポーツ協会」の版間の差分

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[[1950年]]([[昭和]]25年)にMFJは[[国際モーターサイクリズム連盟]](FIM)に加盟した。当時の代表は、[[1930年]](昭和5年)に日本人として初めて[[マン島TTレース]]に出場した [[多田健蔵]]であったが、運営は[[木村正文]]([[モーターマガジン社]]代表)に委託されていた。
 
その後、このMFJとは別の団体が「自分たちの団体がMFJである」という声明を雑誌『[[オートバイ (雑誌)|オートバイ]]』の1959年1月号(モーターマガジン社)で発表した。この新しいMFJに対しては[[全日本モーターサイクルクラブ連盟]](MCFAJ)出身者たちがFIMに異議を申し立てた。このMFJは金銭に纏わる不祥事が起きて崩壊した。当時建設中の[[鈴鹿サーキット]]を視察するために来日したFIM会長[[ノーティア]]はこのような日本の現状を知り、暫定的にメーカー主導の団体をFIMの公認団体とする。木村正文はFIMの代表機関であるこを主張していたが、日本の二輪モータースポーツの発展を優先してこの主張を取り下げ、[[1961年]](昭和36年)に「日本モーターサイクルレース協会」(現在の「財団法人 日本モーターサイクルスポーツ協会」)MFJが発足し、鈴鹿サーキットのこけら落としとなる「第1回全日本選手権ロードレース大会」を主催した<ref>『サーキット燦々』(p191 - p196)より。</ref>。
 
==沿革==