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カミュが現れる前、19世紀にデンマークの哲学者キルケゴールが不条理について書いている。
 
{{Quote|「不条理とは何か?それはおそらく容易に理解できるだろう。それは私が意味を持ってなす行動や私自身、私の意志が導いた結果に見ることができるだろう。教えてくれ、君はあることを他のことよりと同様によくできるだろう。そしてすなわちの意志がこれを言う結果は教えてくれる、私がやったようには君はできないだろうと。不条理は信条によってなされる行為である。私は行動する、しかし結果はすでに決まっており、私はその一つの可能性をつかみ取って言う、これが私のやったことで、他のことはできなかった。これが私の意志がつかみ取った結果であるから」|キルケゴール,ジャーナル,1849}}
 
不条理の一つの例は、「おそれとおののき」の中に見ることができる。アブラハムは神に、息子のイザークを殺せと命じられる。アブラハムはすべての道徳と倫理に反抗し、ただ神に従い息子を殺した。結果的に息子は神からアブラハムの元へ返されることで、アブラハムは神への信仰を再確認する。キルケゴールは、この神を信じて殺人を行ったアブラハムに、不条理の美徳を見出した。ただこの物語は"沈黙のヨハネス"という偽名で書かれている。
 
別の例では『死に至る病』に不条理を見ることができる。このときの偽名は"Anti-Climacus"である。絶望に対する挑戦としてこの本は知られている。この本の始まりで、「不条理に直面した人が、どうそれに対処するか」を書いている。このテーマはカミュものちに書いている。自殺、すなわち不条理の拒絶である。彼の自伝によれば、彼の使ったペンネームに大した意味はない。しかし彼の活動は、不条理をテーマとした、多くのもののバックグラウンドとなっている。
 
== アルベール・カミュ ==