「クローヴィス1世 (フランク王)」の版間の差分

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== 概要 ==
{{仮リンク|[[サリー・フランク族|en|Salian Franks}}]]の[[フランク王の一覧|王]]{{仮リンク|キルデリクス1世|en|Childeric I}}を父、[[:en:Basina of Thuringia|テューリンゲン族のバジーナ]]を母として[[トゥルネー]](現ベルギー領)で生まれた。当時は現代の[[フランス]]・[[ベルギー]]国境付近のトゥルネー、カンブレーを中心とする[[ライン川]]低地西部を占めていたに過ぎなかった。
 
[[481年]]に即位したクロヴィスはライン川北岸の[[フランク人]]を統一、[[486年]]には[[ガリア]]北部を支配していた[[西ローマ帝国|西ローマ]]系軍閥[[シアグリウス|シャグリウス]]を{{仮リンク|ソワソンの戦い|en|Battle of Soissons (486)|}}で破り、版図を一挙に[[ロワール川]]北部に拡大、旧ローマ属州ベルギカ・セクンダを支配下に治めた<ref>R.ミュソ=グラール、p.42。</ref>。さらにクロヴィスは妹のアウドフレドを[[東ゴート王国]]の[[テオドリック]]大王に嫁がせて同盟を固め、[[493年]]には[[ブルグンド王国]]の王女[[クロティルダ (フランク王妃)|クロティルド]]とソワソンで結婚した。