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==== 日本 ====
{{see also|電報#日本での歴史}}
[[1854年]]、[[マシュー・ペリー|ペリー]]が持ち込み、日本に電信がもたらされた。ペリーは電線を1km程引き、公開実験をおこなった。このとき、「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)と打った。
 
1830年に始まった電信技術は、日本では1846年から1851年の間に[[松代藩]]士の[[佐久間象山]]が、文献をもとに電磁石、絹巻銅線、地震予知機、電気治療器などを作り、[[ダニエル電池]]を電源に使い70mの距離で電信の実験も行った。この実験が成功したのかは不明である。日本初の公式な送受信記録は、1854年の[[ペリー]]の2度目の来日の際に、米国大統領[[ミラード・フィルモア]]から[[江戸幕府]]へ1/4サイズの[[蒸気機関車]]と共に贈られた「[[エンボッシング・モールス電信機]]」によるものであった。エンボッシング・モールス電信機は受信側で信号が[[紙テープ]]へ記録されるもので、この電信機のセットで約1[[マイル]](1.6km)の電線を用いて送信された。この時の電文は「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)であった<ref name=NTTE>[[NTT東日本]] [http://www.ntt-east.co.jp/business/magazine/network_history/05/ 「黒船と共に、"電信"は日本へとやってきた」] </ref>。
[[1869年]]、電信による公衆[[電報]]が東京・横浜間で開始された。
 
その後は[[幕末]]の混乱の中で電信の普及は無かったが、[[明治維新]]後の1869年(明治2年)に英国の通信技師を招き[[横浜燈台役所]]と[[横浜裁判所]]の間に電信回線が敷設され、[[ブレゲ指字電信機]](モールス信号ではなく針で文字を指す方式)による通信が始まり<ref name=NTTE/>、同年中には、東京・横浜間で電信による電報の取り扱いが始まった<ref>[[NTT西日本]] [http://www.ntt-west.co.jp/info/databook/pdf/256-257.pdf 「電信電話のあゆみ」] </ref>。
 
1871年(明治4年)には[[ロシア]]の[[ウラジオストク]]から[[長崎]]へ海底ケーブルが敷設され、シベリア経由でヨーロッパ、さらには[[大西洋横断電信ケーブル]]を経て米国とも通信が可能となった<ref name=NTTE/>。1871年11月に欧州へと出発した[[岩倉使節団]]は[[不平等条約]]の改正交渉の経過報告を、この出来たばかりの回線を使い行った。
 
1873年(明治6年)には東京と長崎間に回線がひかれ東京から海外との通信が可能になった。その後電信網は全国に広がり、1880年(明治13年)頃には大都市間、1890年(明治23年)頃には全国の[[県庁所在地]]が継った。1879年(明治12年)には官報、事務報、私報を合わせ165万通の電報が打たれた<ref name=NTTE/>。
 
== 応用 ==