「加賀 (空母)」の版間の差分

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艦形の決定の際、同じく他艦種から改造された[[イギリス海軍]]の二段式航空母艦「[[フューリアス (空母)|フューリアス]]」の影響を受けてか、「赤城」共々、三層の[[飛行甲板]]を持つ三段式空母案が採用された。上段を離発着用、中段を小型機の発艦用、下段を大型機の発艦用とし、航空機の機種・用途に合わせ、甲板を使い分けることが考えられた。
 
しかし航空機の草創期に設計されたため、運用の実際や航空機の大型化を予測しきれず数々の問題が浮上することとなった。問題となったのは発着用飛行甲板の短さであり、特に中段の甲板で顕著に表れ、ここから[[艦機]]が運用上で発艦することはできなかった。飛行甲板と船体に挟まれた艦橋からは搭載機の発艦・着艦統制が難しく、[[1932年]](昭和7年)には甲板のエレベーター右舷に塔型補助艦橋と、飛行科指揮所を設けている<ref>「軍艦加賀塔型補助艦橋及飛行科指導所仮設の件」、1-2頁</ref>。
 
また煙突の配置も問題となった。当時保有していた空母は「鳳翔」しかなく舷側に煙突を立てたままだと航空機の着艦操作に大きな影響を与えることは実証されている。霞ヶ浦の技術研究所で模型を作ってさまざまな空洞実験を行ったがどうしても解決策を見出すことができなかった。そこで当時参考資料として検討されたのが英空母「アーガス」である。これは煙路を両舷に沿って艦尾まで導き排煙するという方式をとっていた。当時の造船技術者達は「赤城」の方式と実用性の上で比較するためにこの艦尾排煙方式を強く主張し、「加賀」の煙突は「赤城」とは別個のものとして作られることになった。しかし実際には様々な問題が出てきた。ボイラーからの排煙が航空機の邪魔にならないようにと煙路を艦尾まで導いて排煙していたが、長大な煙路の重量、艦内容積の減少に加えて、煙路に隣接する区画の室内温度は40℃にも達したといい、高温により居住に耐えられないという大きな問題を引き起こした。また、艦尾から排出される煤煙が気流を乱して航空機の着艦を阻害することにもなった。この問題は「赤城」と同様の[[煙突]]方式を取ることで解決を試みようとされたが、折からの軍縮予算で実現されなかった。