「加賀 (空母)」の版間の差分

「加賀」には数々の不具合があったため「赤城」より一足先、[[1934年]](昭和9年)6月より改装工事が着手され、[[1935年]](昭和10年)12月に工事が完了した。「加賀」の改装は竣工以来の欠陥の解消だけではなく、性能向上も含むものであったため工事の工数は多く、日本海軍艦艇中、一、二を争うほどの大掛かりなものであった。
 
問題の多かった排煙方式は「赤城」と同じ弯曲煙突式とし、位置を機関上部右舷に修正した。これによる重量軽減は100トンにも及び、乗員も煙路の高熱から解放されるとともに艦尾から排出される排煙が気流を乱し、艦機の着艦を妨げるという欠陥も解消した。
 
また三段式飛行甲板の中下段は廃止され、最上段のみの全通式の一段甲板とした。最上段の飛行甲板は船体長を上回る長さになり、離着艦の滑走距離が大幅に延長された。この際、若干艦尾方向が高くなっていた傾斜飛行甲板はフラットなものに手直しされた。また中下段の飛行甲板の廃止により航空機の格納スペースも増加し、搭載機数も常用72機、補用18機の合計90機と大幅に増加している。改装後の「加賀」は以後に完成した日本の空母を含めても最大の格納庫面積があり、実際には最大103機の運用を可能としていた。[[大蔵省]]の記録では加賀(戦闘機24、攻撃機45、計69、補用機31、総計100)、赤城(戦闘機27、攻撃機53、計80、補用機40、総計120)となっている<ref>「飛行機格納数」(航空隊設備関係説明資料)</ref>。ただし[[零式艦上戦闘機]]に比べて小型の[[九六式艦上戦闘機]]などを使用したものとのこと。燃料搭載量も8,200トンに増加し、航続距離が新造時の14ノットで8,000[[海里]]から16ノットで10,000[[海里]]に延びた。速力についてはタービンを新式の大出力のものに換装し、機関出力の増大と艦尾延長により、それまでの実速度26.7ノット(公称27.5ノット)から28.3ノットまで向上した。
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