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[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]中の[[1991年]]から[[1995年]]にかけてモスタルでは他の重要な企業が閉鎖や損害、縮小などの影響を受けている。その中には、軍用機を製造するSOKOの工場やタバコ製造工場のFabrika duhana Mostar、食品工業のHepokが含まれる。[[1981年]]のモスタルの一人あたり[[国内総生産|GDP]]はユーゴスラビア平均の103%であった。
<ref>{{cite book | title=Atlas svijeta: Novi pogled na Zemlju | year=1984 | edition=3rd | publisher=Sveučilišna naklada Liber | location=Zagreb | language=Croatian | editor1-first=Radovan | editor1-last=Radovinović | editor2-first=Ivan | editor2-last=Bertić}}</ref>
ユーゴスラビア時代からの企業はアルミニィ(Aluminij)だけである。アルミニィはボスニア・ヘルツェゴビナでは有力な企業の一つで、多くの国際的な関係を持つ企業である。毎年安定して収益を上げており、国際的な企業である[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]や[[フィアット]]などと関係を持ってい
モスタルは毎年開催される国際経済フェア("Međunarodni sajam gospodarstva")のホストを[[1997年]]以来務めている。 == 交通 ==
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