「爺ヶ岳」の版間の差分

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Mount Betsu and Taneikesanso.jpg
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==== 種池山荘 ====
[[ファイル:Mount Betsu and Taneikesanso.jpg|thumb|200px|岩小屋沢岳と爺ヶ岳との鞍部にある種池山荘と[[立山連峰]]の[[別山]]]]
[[1919年]]([[大正]]8年)に当時の[[平村 (長野県)|平村]]により、2[[間]]9[[尺]]の[[石室]]の種池小屋が建造された<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。柏原長寿が村からの委託を受けて、小屋の管理を行っていた<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。[[1930年]](昭和5年)に[[木構造 (建築)|木造]]小屋に建て替えられたが、この年の冬に積雪のため倒壊した<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" /><ref name="北アルプス山小屋案内(1987)、41頁" />。その後も積雪により小屋が押しつぶされることが何度もあり、登山シーズン後に小屋を解体し次の年の開業時に組み立てる方式とした時期もあった<ref name="北アルプス山小屋案内(1987)、41頁" />。[[1940年]](昭和15年)[[8月12日]]に[[宇治家彦|久邇宮家彦王]]一行が、白馬岳から[[蓮華岳]]への縦走時、鹿島槍ヶ岳に登頂した後に種池山荘に宿泊した<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。1943年に柏原長寿が村から小屋を買い取り、[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]は[[娘婿]]の柏原正泰が小屋の管理を行った<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" /><ref name="北アルプス山小屋案内(1987)、41頁" />。[[1959年]](昭和34年)に[[伊勢湾台風]]により屋根が吹き飛ばさるほぼ全壊の被害を受け、翌年木造2階建ての旧館が再建された<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。[[1968年]](昭和43年)に、1階が鉄筋コンクリート構造、2-3階が鉄骨構造の頑丈な小屋に建て替えられ、種池小屋から種池山荘(たねいけさんそう)に改名された<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" /><ref name="北アルプス山小屋案内(1987)、41頁" />。[[1971年]](昭和46年)に当時の[[林野庁]]の要請を受けて、柏原正泰が岩小屋沢岳と鳴沢岳との鞍部に新越山荘を建造した<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。[[1994年]]([[平成]]6年)旧館が全面改築された<ref name="北アルプス山小屋物語 (1990)、110-116頁" />。
 
== 地理 ==