「第2SS装甲師団」の版間の差分

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1941年3月26日、枢軸国の一員であるユーゴスラビアに反独クーデターにより親独政権が倒れた。4月6日、ドイツ軍は[[ユーゴスラビア侵攻|ユーゴスラビアへ侵入]]した。SS師団ライヒは、ハンガリーよりユーゴスラビアの首都[[ベオグラード]]へ進軍、注目すべき戦果として、ベオグラードを占領した。
 
[[1941年]][[4月12日]]の朝、[[親衛隊大尉|SS大尉]][[フリッツ・クリンゲンベルク]]([[:en:Fritz Klingenberg]])の指揮する[[オートバイ]]兵中隊は、[[パンチェヴォ]] ([[Pancevo]]) から[[ドナウ川]]の土手沿いに[[ベオグラード]]に接近した。クリンゲンベルクは同市に突入することに不安を感じ、川の増水と渡河する橋がなく、オートバイ兵中隊には架橋装備や浮き橋も欠いていた。クリンゲンベルクは、川の北の土手にモーターボートを見つけ、クリンゲンベルクは部下とともに[[ドナウ川]]を渡った。対岸に付いた後、2人を増援のために戻し、6人でベオグラードのダウンタウンに進んだ。町に入った後、クリンゲンベルクは20人のユーゴスラビア兵と遭遇し、彼らは一発も撃つことなく降伏。その後、クリンゲンベルクは短い戦闘の後、ユーゴスラビア軍の車両を鹵獲、それを利用してユーゴスラビアの軍務省へ向かった。しかし、彼らがビルに到着した時、ビルは放棄されていた。おそらく、軍司令部はドイツ空軍の空襲により首都から撤退したものと考えられる。ベオグラードには降伏交渉する軍の指揮機能が残っていなかったため、クリンゲンベルクはベオグラードのドイツ大使館へ向かった。都市の占領を宣言するため大きな[[鉤十字]]を広げ、大使館の上に掲げた。2時間後、ベオグラード市長が大使館を訪れ、クリンゲンベルクに降伏した。ドイツ軍の主力部隊が入城するまで1日を待たないといけなかった。ベオグラード占領の功績で、SS大尉フリッツ・クリンゲンベルクは[[騎士鉄十字章]]を受けた。
 
ベオグラード占領後、師団は[[独ソ戦|ソビエト侵攻作戦]]の一端を担うために[[ポーランド]]へ移動した。