「海東諸国紀」の版間の差分

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海東諸国全図、[[西海道]]九州図、[[壱岐島]]図、[[対馬|対馬島]]図、[[琉球王国|琉球国]]図、朝鮮[[三浦の乱|三浦]](薺浦、富山浦、塩浦)図などの地図が冒頭に掲げられている。本文は「日本国紀」、「琉球国紀」、「朝聘応接紀」に分かれ、それぞれの歴史、地理、支配者、言語などを詳細に記す。また当時朝鮮を訪れていた日本の地方支配者(大名)使節の接遇方法も詳細に記されている。[[日本史]]、[[琉球史]]の重要資料であるだけでなく、[[日本語]]史、[[琉球語]]史でも見逃せない資料を提供している。
 
{{quotation|・・・[[周]][[平王 (周)|平王]]四十八年、其始祖'''狭野'''起兵誅討、始置州郡・・・|序文}}
{{quotation|日本は最も久しく、其つ大なり。其の地は[[黒龍江]]の北に始まり、我が[[済州島|済州]]の南に至り、[[琉球王国|琉球]]と相接し、其の勢甚だ長し。その初は、処処に衆を保ち、おのおの自ら国をつくる。[[]][[平王 (周)|平王]]四十八年、其の始祖の狭野は兵を起こして誅討し、初めて州群を置く。大臣おのおの占めて文治するも、中国の封建のごとくは統属甚しからず。習性は強悍にして剣槊(武術)に精なり。舟楫に慣れ、我れと海を隔てて相望む。之を撫するに其の道を得ば、則ち朝鮮は礼を似てし、其の道を失えば、則ち輒ち肆に剽窃せん。}}
{{quotation|人皇の始祖は[[神武天皇]]なり。名は'''狭野'''。地神の末主[[ウガヤフキアエズ|彦瀲尊]]の第四子。母は[[タマヨリビメ|玉依姫]]。俗に海神の女(むすめ)と称す。庚午の歳を似て生まれる。周の幽王十一年なり。四十九年戊午、大倭州に入り、尽く中洲の賊衆を除く。五十二年辛酉正月庚申、初めて天皇を号す。百十年己未、国都を定む。在位七十六年。寿百二十七。}}
{{quotation|[[孝霊天皇]]。[[孝安天皇]]の太子なり。元年は辛未。七十二年壬午、[[秦]]の[[始皇帝]]、[[徐福]]を遣わし、海に入り仙福(不老不死の薬)を求めしむ。遂に[[紀伊国|紀伊州]]に至りて居す。在位七十六年。寿百十五。}}