「シェムリアップ」の版間の差分

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[[帝国主義]]時代にフランスは東南アジアの広大な領域を植民地化した。カンボジアのほかに[[ラオス]]も[[ベトナム]]もこの「フランス領[[インドシナ]]」に属した。1907年3月25日の条約で、シェムリアップ、[[バッタンバン]]及び[[シソポン]](合計で 20,000 平方キロメートル以上)も植民地政府に属した。
 
[[太平洋戦争]]中は[[タイ・フランス領インドシナ紛争]]と、それを終結させた[[東京条約]]により、一時期[[タイ王国|タイ]]の領土となったが、戦後はフランス領に復帰した。しかし[[1949年]]から[[1953年]]にかけ[[カンボジア王国]]が成立すると、その領域となった。
 
1975年から始まった[[クメール・ルージュ]]支配の時代には、全国の他の都市から誘拐されてシェムリアップの住民にさせられた人々が、畑での重労働に従事させられた。これらの人々は、1979年1月にベトナム軍が侵攻してクメール・ルージュに勝利した後、故郷の都市に帰されたが、クメール・ルージュは1990年代の初めまで森に逃げ込んで攻撃を続けた。住民は、長年の間、[[バリケード]]を築いて中心街を守らなければならなかった。シェムリアップや[[国際連合カンボジア暫定統治機構|UNTAC]]平和維持部隊に対する最後の攻撃は1993年に起こった。