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{{by|1996年}}には[[ジュニアオールスター]]で先発して勝利投手となり優秀選手に選ばれたが<ref>読売新聞、1996年7月20日付朝刊、P.18</ref>、一軍では5年間で14試合の登板に終わり{{by|1999年}}オフに[[戦力外通告]]を受ける。
 
[[大阪近鉄バファローズ]]、[[阪神タイガース]]、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]、[[広島東洋カープ]]の各球団のテストを受け{{by|2000年}}に[[大阪近鉄バファローズ]]に年俸800万円<ref>読売新聞、1999年12月10日付朝刊、P.17</ref>で入団し、過去最高となる19試合登板を果たしたが同年オフに戦力外通告を受けた。
 
[[大久保勝信]]と[[愛敬尚史]]が[[2000年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]で指名されて投手陣が手薄となった[[パナソニック野球部|松下電器]]から誘われ<ref name="asahi_20021024">朝日新聞、2002年10月24日付夕刊、P.3</ref>、同年[[11月30日]]に入社試験を受けて翌[[12月1日]]付で入社した。[[鍛治舎巧]]野球部長からは野球に対する姿勢も評価されていたという<ref>読売新聞、2002年10月19日付朝刊、P.24</ref>。{{by|2001年}}シーズンは先発と[[リリーフ|抑え]]を務めて活躍し、2年目の{{by|2002年}}には[[第73回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で21回2/3を投げ[[防御率]]0.42の好投で2勝を挙げ、チームの13年ぶりのベスト4進出に貢献。[[第29回社会人野球日本選手権大会|同年の日本選手権]]でも1勝、防御率1.50と年間を通じて安定した活躍を見せ<ref>毎日新聞、2002年12月5日付朝刊、P.13</ref>、元プロ選手としては初めて[[社会人ベストナイン]]に選出された。また、{{by|2003年}}1月には[[日本スポーツ賞]]の優秀選手賞を受賞している<ref>読売新聞、2003年1月31日付朝刊、P.19</ref>。{{by|2004年}}は投手コーチを兼任して現役を続けていたが、2大大会の登板もなく同年オフに引退した。
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