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'''黒川晴氏'''(くろかわはるうじ、[[大永]]3年([[1523年]]) - [[慶長]]4年([[1599年]]))は[[大崎氏]]の家臣。[[黒川稙国]]の子。[[留守政景]]の岳父であり、[[大崎義隆]]の子[[黒川義康|義康]]を養子とした。左馬頭。月舟斎と号す
 
大崎氏の一族として陸奥の有力国人として勢力を築き活躍した。血筋としては大崎氏の分家である[[最上氏]]の傍流にあたる。[[鶴盾城]]を領していた。はじめは[[伊達氏]]の家臣であったが、[[1588年]]に[[伊達政宗]]が[[大崎義隆]]を攻めたとき([[大崎合戦]])、政宗を裏切って大崎氏に味方し、[[桑折城]]の戦いで伊達軍を痛撃、さんざんに破る一方で、敗走し窮状に陥った娘婿の政景の見逃すなど人情に厚い人物であった。[[小田原の役]]に遅参した罪で大崎氏が所領を没収される晴氏も領地を失、のちに大崎氏の旧領を支配することになった政宗に捕らえられ処断されそになるも、政景の取りなしもあって一命をとりとめた
 
 
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