「アル・ディ・メオラ」の版間の差分

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ディ・メオラは初期作品の頃から卓越した演奏技術、[[速弾き]]、複雑な[[ギター]][[ソロ (音楽)|ソロ]]・[[作曲]]により注目を集めていたが、その頃からすでに地中海文化や[[フラメンコ]]などにみられるアコースティックなジャンルを探求し始めていた。その好例がアルバム''Elegant Gypsy''(1976年)に収録された"Mediterranean Sundance"と"Lady of Rome, Sister of Brazil"といった曲である。初期のアルバムは他のロックギタリストにもジャズギタリストにも同様に大きな影響を与えた。ディ・メオラは''Casino'' や''Splendido Hotel'' といったアルバムにおいてジャズフュージョンのジャンル内からラテン音楽の方向性を探究し続けた。アルバム''Casino''の"Señor Mouse"と"Fantasia Suite for Two Guitars"や、[[ライブ・アルバム]]である''[[フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ〜スーパー・ギター・トリオ・ライヴ!|Friday Night in San Francisco]]'' のようなアコースティックナンバーにおいてはさらに繊細なタッチを披露した。
 
1983年のアルバム''Scenario''で、彼は([[マイアミ・バイス]]のテーマ曲で知られる)[[ヤン・ハマー]]とのコラボレーションでジャズのエレクトリック的な可能性を模索し始めた。この模索の延長線上として、アコースティック的なアルバムである''Cielo E Terra''でさらに音楽的地平を拡げた。さらに彼は''Soaring Through a Dream'' のようなアルバムで[[ギターシンセサイザー]]を採用し始めた。また、1990年代より[[ワールドミュージック]]を焦点にしたワールド・シンフォニアをスタート。[[アコーディオン]]奏者に[[ディノ・サルーシ]]を迎え、オーケストラ・タンゴに近いアルバムを録音していた。2000年代以降、アコーディオン奏者は[[ファウスト・ベカロッシ]]に代わっている
 
彼は[[バージニア州]]の[[バーチメア音楽ホール]]といった小さなホールで演奏したりしてツアーを続けてきた。最近のコンサートは彼の新しいマテリアル(「歪んだアコースティック」音や初期のソロ作品の曲よりもずっと自由度の高い音が出せるギターシンセサイザー音のごった煮風の融合)のサンプルが含まれている。彼はしばしば自分の最も魅力的な作品の一つを力強く演奏してコンサートを締めくくる(例えばアルバム''Elegant Gypsy''の"Race With Devil On Spanish Highway"という曲)。彼はこのようにして優れた演奏技術を披露するとともに自分でも知らず知らすのうちに考え付いた不思議でメロディアスな[[旋律]]を激しい曲の流れと融合しているのである。